見出し画像

娘の誕生日🎂

1985年 帝王切開で産まれて来ました。

子宮口が中々開かず、風船を入れましたが効果なし💦

破水したこともあり、急遽帝王切開で出産することになりました。

当時の夫は仕事で県外にでていることもあり19歳の私は不安でいっぱいでした。

陣痛促進剤の点滴を止め、夕方から手術の準備に入りました。

破水して私は発熱、血圧は40/20まで下がり 嘔吐しながらの手術でした。

低体重児かもしれないと言われていましたが 出てきた赤ちゃんは2810g、元気に泣いてくれました。


子どもが子どもを産んでと陰口を叩かれることもありました。

ギャンブルに明け暮れる夫に絶望して生きる意味を失いかけることも沢山ありました。

それでも頑張れたのは娘がいてくれたからです。

本の読み聞かせをしても2~3ページ読むと寝てしまい、毎日進まない読書に顔を見合わせて笑ったり、娘から保育園で覚えた方言を教えてもらったり…。

経済的にとても苦しかったけど 何でもよく食べ、よく笑い元気に育ってくれました。

「お母さん、家を出よう。」

この一言でアパートを探し、別居し その後離婚…。

母子二人暮しも楽しいものでした。

21歳で結婚、この時も式場探しを一緒にし新しい命を授かり、喜びと不安を分かちあった日々…。

初孫は男の子でした。

 若い夫婦がつけた名前はとても素敵で思いが詰まっているのがよく分かりました。

生後2ヶ月、保健婦さんが訪問してくれて元気に育っていると言われたと喜んで報告してくれた翌日…。

朝、娘から電話をもらいました。

「お母さん、ごめん。孫ちゃんが亡くなった…。」

私は絶句しました。言葉の意味が理解出来ませんでした。

出先でしたが直ぐに娘ね家に直行しました。

事情を聞くと朝、起きたら息をしていなかったそうです。

自宅で亡くなったので警察が入り、大学病院で検死を行うということでした。

娘は自分を責めていました。心から可愛がり大事にしていた我が子を亡くす悲しみ、苦しみは計り知れなかったと思います。

どう、声をかけてあげればいいのか…。ただただ抱きしめることしか出来ませんでした。

 病院から戻ってきて警察の方が連れてきてくださいました。

死因は肺炎でした。

 見ない方がいいからと傷だらけの頭は帽子で隠してくれていました。

警察の方も私たちと一緒に涙を流していました。

今にも目を覚ましそうな穏やかな顔をしていました。


葬儀に合わせて私の両親や弟、妹家族が来てくれて密葬とはいえ賑やかな式となりました。

当時は闘病生活を送っていたとはいえ、父はまだ元気でした。

 棺に宮参りの着物を入れ、最後の別れの時、初めて顔を見た曾孫の名前を絶叫し、それがまた参列者の涙を誘いました…。


その悲しみを乗り越え、娘は5人の母になりました。

娘の夫は心の病を患い、仕事が出来ず 時に暴力を振るうようになったので離婚。

今はどっしり構えた「母ちゃん」です。

生きていれば17歳。

5人の孫達はお兄ちゃんの分まで元気で明るく優しい子に育っています。

「母ちゃん」として頑張っている娘が39歳になりました。

いつまでも可愛い娘だと思っていましたが、もう来年は40代に突入です。

信じられないですけどね。

これからもずっと可愛い可愛い娘ちゃん。

体を壊さないようくれぐれもきをつけて🍀

 誕生日おめでとう🎉🎂

 産まれてきてくれてありがとう🍀🌈


いいなと思ったら応援しよう!