小さくて確かな幸せ
最近、新しい朝の習慣ができた。
東に面する私の部屋は朝日が瞼を貫通する。でも夜は暖房を入れていないから、起き上がるには寒すぎる。自分の体温で作り上げた布団の中という快適空間から出たくないと毎朝葛藤する。文字通り、毎日である。
そんな葛藤をしながらとりあえず布団の中で10分ほどスマホを触った後、仕方なく布団から手を片方ずつ出し、起き上がる。それを繰り返すだけだった朝に、新しいルーティンが加わった。
起き上がった後、台所に直行する。電気ポットに水を汲み、台にセットしてスイッチを入れる。そして湯が沸いたら、待ってる間に用意した緑茶のティーバッグが入ったマグカップに注ぐ。出来上がった緑茶を片手にリビングに戻る。
きっかけは、去年の年末だった。実家に帰ると、母が夕食後に、緑茶を出してくれた。私の家は麦茶が冷蔵庫に常備されている以外は、お茶と馴染みのあるような家庭ではなかったから、驚いて尋ねると、父の友人から緑茶の茶葉が入ったティーバッグが大量に送られてきたという。せっかくもらったのに飲む人がいなくて勿体無いという母の呟きとともに目の前に置かれた緑茶。
これが美味しかった。緑茶を美味しいと意識して飲んだことはなかったが、初めて急須でお茶を入れる人の気持ちがわかった。美味しい!それから毎日夕食後に緑茶を勝手に作って飲むようになった私を見て、一人暮らしの家に帰る日に余っている緑茶のティーバッグを全て、母が私に持たせてくれた。こうして朝の緑茶習慣が始まった。
緑茶と共に始まる朝は、心が安らぐ。あんなに起き上がるのが辛いと思っていたのに、冬も悪くないなと感じてくる。それどころか、緑茶を飲むというそれだけのことで少し幸せになれる冬は最高だと毎日幸せを噛み締めている。
特にアラサーという年齢に差し掛かるにつれて、周りが結婚、出産と人生の大きな節目を迎えてくる。自分には自分の幸せがあるし、結婚も出産も早ければいいってものじゃない。そう分かっていても、自分は望んだタイミングでそんな幸せが手に入るのかと不安になることもある。
でも、緑茶を飲む冬の朝は、確かに幸せなのだ。人生の節目といえるほどの大きな幸せではないかもしれない。それでも、毎朝の一杯で小さくても確かな幸せを届けてくれる。私の幸せのハードルを下げて、毎日やすらぎと幸せを運んでくれる緑茶のパワーは、偉大である。