病気発覚
自分が持って生まれた病気のことを知ったのは中学1年生のときのこと。
学校で受けた側弯症の検査、心電図検査に連続で引っかかった。
クラスの中で私だけが何度も再検査に呼び出され、恥ずかしかったことを記憶している。
側弯であることは既に知っていたので驚かなかったが、心電図検査で再検査しても不整脈が出て、市内の専門病院を紹介されたときはさすがに少し驚いた。
母に付き添ってもらって一日がかりで検査した日のことも断片的ながら記憶している。
学校からの紹介状を手に新規外来で手続きをする母の緊張した後ろ姿。
多くの人が診察を待つ待合を抜けて血液検査に向かったこと。
心電図とエコー検査は特に待ち時間が長く、お昼を過ぎてお腹を空かせながら生理機能検査室の前で母と座って順番を待っていたこと。
「大丈夫かなあ」「きっと何もないと思うねんけどなあ」と母と言いながら病院から駅までの道を歩いて帰ったこと。
私は自分の心臓が不整脈を打っていることを自覚することもなかったし、体のどこにも不調を感じていなかった。
それゆえ、学校の再検査では引っかかったけれど、
きっと何かの間違いだろう、たまたまそんな結果が続けて出たのだろう、
と得意の楽観主義的見解でいた。
一方母はかなり心配していたようだ。
検査の間中、私の隣で常にどこか緊張していた。
異常が疑われているのが命に直結する循環器系であることもあり、大丈夫だと信じながらも不安を隠しきれなかったようだ。
検査の結果を聞くために再び病院を訪れたのは1週間か2週間ほど後のこと。
診察で私たちに告げられた内容は
「身長がぐんぐん伸びてしまったせいで、血管がその成長に付いていけず、大動脈が伸びて太くなっている箇所があり、不整脈の原因となっている。」
というもの。
「大動脈」という小学校の理科で習うほどの有名な名称が出てきたこと、
しかも心臓から全身に血液を送る非常に大切な体の部位であることを思い出し、さすがに驚いた。
これからは生活の仕方を変えなくてはならないのだろうかと心配にもなった。
だが、元々楽観的な性格である。
もしかすると、大嫌いな体育の授業をずっと見学するだけで済むかもしれない…!!
心配は瞬時に期待に切り替わった。
さらに医師の説明は続く。
「今後も大動脈は少しずつ大きくなることが予想されるが、今すぐ治療しなければならないものでもない。
おそらく40歳くらいになった頃に手術が必要になるだろうが、
しばらくは経過観察のために、年に一度ほどのペースで通院すればよい。
また、手術した後は、平均寿命くらいまで全うできるはず。
これからも普通に生活して問題ない。」
先生の言葉に一安心の様子の母。
一方の私は次の言葉で落胆することになる。
「運動も普通にしてよい。
ただしオリンピックを目指すほど、しゃかりきにやってはいけない」
よって来週も体育の授業にも出なければならない。
オリンピックなんて目指せるわけがないから、何の問題もない。
がっかりである。
帰り道、安堵して足取りも軽くなった母に
「体育は出なあかんねんて…なんか中途半端な病気やわ…」
などとぼやき続けた。
ここで気づいた方もいるかもしれないが、
このとき医師から「マルファン症候群」という言葉は出ていない。
病名は聞いたように思うが、たくさん漢字が並んだ病名でマルファン症候群とは告げられなかったように記憶している。
もしかすると将来的に「大動脈解離」を起こす可能性がある、と言われたことを病名だと思ったのかもしれない。今となっては定かでないが…
だが、病名をはっきり告げられなかったこともあり、
私は自分の病気を体質と同義に理解して、大動脈解離の予防的手術が目前に迫るまで、気楽に過ごすことになる。
病気のことをほとんど気にせず、体育の授業も嫌々こなし、
特に何の不都合や不自由も、不安も恐怖も感じることなく、生きてこれたのである。
それは私だけでなく母もであった。
私と母を、驚かせないよう、怖がらせないよう言葉を選んで説明してくれた、当時の小児科の先生には今でも本当に感謝している。