与える側になりたい子どもたち
こんにちは、ボランテイアの大村です
今日はフリースクールで「イタダキ@生駒山」(遊具施設)にいってきました
遊具あり、水辺ありの開放的な場所
そこで、なんの躊躇いもなく11月も終わりに水に裸足で入り、服も靴もぬれまくっている小学生たちよ・・・それだけで大人は(生きものとして)尊敬するよ
* * *
ある大きな遊具の中を、2歳ぐらいの女の子がお父さんと登り始めました
もちろん知らない親子です
同じ遊具で遊んでいたフリースクールの子たちは、その女の子に「こっちだよー」と誘導したり、靴が脱げたら履かしてあげたりと、嬉しそうにお姉さん・お兄さん役を始めました
大人としては「小学生はお世話される存在」というイメージですが、彼らにしてみると、機会があれば「お世話したい」んだなぁと
* * *
そういえば最近、フリースクールの子どもたちが肩たたきをしてくれました
(「キミに出向の話があってね・・・」ではないと信じたい)
スケボーに乗ってるのを押してたら、そのお礼とのことらしく
また今日の遠足では、たくさんの子どもがお菓子を分けてくれました
とくに何か理由のあるタイミングでもなかったので、
なんとなく「与える側にもなりたい」のかなーと
* * *
そうやってみていくと、子どもが「与える側になりたい」を形にする場が、実はもっと必要なのかもしれません
たぶんそれは「制度」では難しくて、その場にいる人との関係のうちに一瞬だけ、パッと出現する場のような
何をすればいいのかまだ分からないので、とりあえず視点だけ