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ワクワクゆいレールの旅・その②

ゆいレールは平成15年、那覇空港と首里を結ぶ交通手段として開業した。それまで沖縄には電車が走っていなかった。
戦前は軽便鉄道が那覇を起点に嘉手納、与那覇、糸満をつないで走っていたが、戦争の影響から運行を停止し久しかった。

私はゆいレールがなかった時の沖縄を知らない。
今や当たり前のように那覇空港に着いたら、ゆいレールに直行するパターンは揺るがない。
空港直結のゆいレールは便利な乗り物である。
ゆいレールの開通で那覇市内の移動は格段に便利になり、令和元年には那覇を飛び出し隣の浦添市まで交通網は発達した。

ゆいレールそのものを楽しむ、にわか乗り鉄の旅は時間を贅沢にのんびりと使い、今回の沖縄滞在の集大成、まとめの時間だった。

首里駅を出発して向かうは浦添方面だ。
今までは首里駅が終点だったので不思議な感覚になる。
首里駅のホームで電車を待っている時に夫から「方向間違えないでね。空港行きじゃないよ。」というメッセージが来てアタフタした。
そうだ、そうだ、首里駅はもう終点ではない。

首里駅から浦添方面に進む初めての感覚にまばたきは少なめ、車窓からの景色は見知らぬ街の連続だった。夫は2往復目をいいことに、「あそこにあれがある。ほら、あれ見覚えある建物でしょ?」と知っている景色を自慢する。
私よりもちょっと多めに乗ったからと言って、先輩面の夫にイラつきながらも、ゆいレールの新しい景色に見入っていた。
そして、いつかこの景色に溶けて暮らしたいなどと空想しなが、景色に見惚れた。
それは、べらぼうな夢かもしれないが、べらぼうな夢を抱いていたい。

終点のてだこ浦西駅のホームのベンチで、午前中に農連プラザ近くの太平通り商店街の入り口に店を構える上原パーラーで買った沖縄てんぷらを食べる。
ゆいレールに乗り込む人を何人も見送りながら、「てんぷらを手掴みだ、どうだ!」とゆいレールのホームで観光客がてんぷらをひたすら食べているぞと、なぜか少し気が大きくなる。衣が厚めの味付きてんぷらは塩分不足の夏の体にピッタリだった。
山ほど買ったてんぷらはあっという間に半分になってしまい、ふとギラギラと油まみれになった指を眺める。
映えるカフェで一息よりも私らしい。

折り返しのゆいレールは一抹の寂しさがあった。
帰路につく寂しさとは違う。
開けた扉の先に一歩踏み出し、振り返り扉を閉じる瞬間の一区切りのようだった。
そんな小さな感情の変化に気づいてどうすると言わんばかりに車窓の左手側に首里城の石垣が見えた。
大きな火災に見舞われたが、立派な翼を広げて胸を張っている石垣は今もその威厳を保っている。
首里城の姿は見えないが火の中から復活する琉球王朝の不死身さを感じることができた。

白い大きなまんじゅうに赤字で「の」と書いてあるぎぼまんじゅう付近を通り過ぎる時には夫が「ここ!!この先にぎぼまんじゅうがあるんだよ!道が細くてさぁ、苦労して買ったんだ。」と苦労話なのに嬉しそうに聞こえる。
ふっくら温かく、月桃の香りがクセになるまんじゅうは琉球古典芸能コンクールを翌日に控え、ヒリヒリヒリした心にしみた事を思い出す。
出来ることならもう一度、心に余裕を作って味わいたいが、細い曲がりくねった道の先にあるまんじゅうをまた食べたいなど安易には言えない。次に訪れる時には私が細い道を苦労しながら買いに行こう。

コンクールの会場である琉球新報を過ぎる頃には、すでに那覇市内を背中に感じ、空港が大きな口を開けて私を飲み込もうと待ち構えているような気分になった。
1往復では足りない。
ゆいレールは3往復してこそワクワクし、日本最西端にして日本最南端の鉄道の醍醐味を味わえるのだ。

那覇空港に到着し、飲食自由なフリースペースで残っていたてんぷらを食べた。
てだこ浦西駅のホームで食べたてんぷらに比べて品があり、塩気も控えに感じたのは、やはりワクワクゆいレールと言うスパイスが効いていた。

はるばる訪れた沖縄でわざわざゆいレールを3往復するなんてと、あなどるなかれ。にわか乗り鉄を楽しむ先に、まだ気づかぬ旅の楽しさを味わえるはずだ。

おわり。