音無理久卓新CoC「カタシロ」後日談SS
こちらのSSは、2020年11月1日に音無理久さんKPで開催された
新クトゥルフ神話TRPGのシナリオ「カタシロ」に登場した探索者、
「中央坂ニコ」の後日談を書いたものです。
当然ですが、シナリオのネタバレを含みます。
読む前に、セッション配信のアーカイブを見ておくことをオススメします。
アーカイブのURLはこちらになります。
https://youtu.be/T9cSpe9q794
よろしい方のみ、スクロールしてお進みください。
あの日から、一か月が経った。
正確には、家で目が覚めた日から一か月、だ。
あの場所での出来事からどれだけ経ったのかは、わからない。
だけど、とにかく。
私の生活は、すっかり日常に戻っていた。
「みなさーん! 今日はありがとうございましたー!」
『うお――――!! ニコた――――ん!!』
ステージの上で挨拶をすると、ファンの人たちの声援がこだまする。
たくさんの歌を歌った私は少し疲れていたけれど、
そんなのが気にならなくなるくらい、ファンの声援が身に染みる。
私はとびっきりの笑顔を観客席に向け、手を振りながら舞台袖へと入って行く。
「お疲れさま、ニコちゃん」
マネージャーが汗拭きタオルとスポーツドリンクを渡してくれる。
私はありがたく受け取ると、タオルで体を拭き、ドリンクを口に含んだ。
―――美味しい。疲れが吹き飛ぶ。
「今日もステージは大熱狂だったね」
「そうですね……ありがたい限りです」
マネージャーの言葉に笑いながら答える。
これまで長期の休止をしてしまったり、一時的に大衆音楽が聴けなくなったり、
アイドル生命に危機感を覚えることが多々あったけれど。
頑張った結果、ファンたちはまた戻ってきてくれて、今の私がある。
一時はアイドルを辞めようなんて思っていただけに、ありがたさと申し訳なさが募る。
「そうそう、さっきお友達が来ていたよ。一言挨拶がしたいって言ってたから、控室に通してある」
「お友達? 誰ですか?」
「よく来てる子だよ。北森さんだっけ?」
「! ももさんですか!? すぐ行きます!」
一番の友達の名を聞き、私はいてもたってもいられなくなる。
私はタオルとドリンクをマネージャーに渡すと、控室へと駆けていった。
「……あれ、全然濡れてないな、タオル」
マネージャーの驚いたような呟きは、聞こえないふりをしながら。
「ももさん!」
私が勢いよく控室の扉を開けると、中にいた人物がそれに気づいたように振り返る。
ピンク色の髪の、変わった服を着ている女性―――北森ももさんがにこやかに近づいてくる。
「ニコちゃん! お疲れさま!」
「ありがとうございます。わざわざ来てくれて嬉しいです!」
「ううん、最近忙しかったけど、やっと都合が合ったから。ニコちゃんの歌、よかったですよ!」
「わあ、ありがとうございます!」
「東山さんもね。今日仕事があって行けないの、悔しそうにしてました。遠くから応援してるって」
「あはは、よろしく伝えておいてください」
他愛のない話で、私とももさんは笑い合う。
久しぶりに会えたから、なんだか気が緩んじゃうな。
「お茶入れますね。ももさんは座っててください」
「え、手伝いますよ! 疲れてるでしょ?」
「大丈夫ですよー。ちょっと待っててくださいね」
笑いながら、私は控室のポットが置いてある場所へと向かう。
お茶のティーバッグを取り出し、お湯を入れようとカップを手に取り―――
そのカップと手に、ノイズのようなものが走る。
「っ!!」
がしゃん。足元で鋭い音が上がる。
音のしたほうを見ると、カップの破片がコロコロと転がっていた。
―――ノイズは、ない。
「ニコちゃん!? 大丈夫ですか!?」
音に気付いたももさんが慌てた様子で駆けよってくるのがわかる。
だけど、私はすぐに言葉を発することができなくて。
「……っ、あ……う……」
「ニコちゃん……? やっぱり疲れてるんだよ。座ってて!」
「え、あ……いや、へい、き……」
「平気じゃないでしょ! ほら!!」
ももさんに無理やり引っ張られ、私は席に着く。
そのまま彼女は掃除用具を取り出し、てきぱきと破片を掃除しているのが見える。
そんなももさんを尻目に、私は先程のことを―――いや、これまでのことを思い返していた。
あの日から、一か月。
私の生活は、確かに日常を取り戻していた。
だけれども。ところどころで、これまでと違うところを感じさせる。
汗の件だって、気のせいかもしれないけど、たしかにかかなくなった気がする。
視界だって……時々、見づらくなるような、気がする。
わからないことも、ある。
例えば、この一か月生理が来ていない。
単なる生理不順なのか、それともそういう機能すら失われたのか。
それと―――私は年を取るのだろうか。
彼は人形に私を入れたと言っていた。
人形は、年を取らないんじゃないか。死ぬことすらないんじゃないか。
確かに今のところ、不自由はないし、普通に生活できている。
でも、本当にずっと、生きていけるんだろうか。
人間の体でない以上、どこかで異変が出ない保証なんてない。
相談しようにも、私を変えたあの医師がどこにいるのかわからない。
連絡先を交換しておけばよかったと、考えても遅すぎる。
怖い。怖い。怖い。
あの時の私の選択が、間違いだったんじゃないかという気持ちにさせられる。
見ず知らずの女の子を助けるために、自分の体を犠牲にするなんて、どうかしてる。
あの時はそれがいいと思ったけれど、雰囲気に呑まれただけなんじゃないのか。
あの子のことなんて、見捨てるべきだったんじゃ―――
「―――――ちゃん、ニコちゃん!」
「……っ」
ももさんの切羽詰まった声が聞こえてきて、私は我に返る。
声のしたほうを見ると、ももさんは心配そうに私を見つめていた。
「大丈夫? 顔色悪いし……体調悪いの?」
「い、え……大丈夫です」
こんな話、言っても信じてもらえるかわからない。
それに、もう終わった話だ。話して今更どうこうなるわけじゃない。
何より―――人でなくなったと伝えて、反応が変わってしまうのが、怖い。
「大丈夫です。いっぱい歌ったから、疲れちゃったんだと思います」
必死で笑顔を作って、そう答える。
なんでもないようにしなきゃ。ちゃんといつも通りの私でいなきゃ。
前と違う私になったなんて、気づかれちゃいけない。
「……嘘」
「え」
「絶対嘘! そんな泣きそうな顔して!
誤魔化せると思わないでください!」
「な、泣きそうな顔なんて、してないで……」
「してる!!」
「う……」
こういうとき、ももさんは鋭い。
やっぱり探偵の助手だからだろうか。私の変化に、敏感に気づいてしまう。
ありがたいとも思うけど、今だけは、気づいてほしくなかった。
「何かあったんでしょ?」
「……」
「話してください。私でよければ、聞きますから」
「……話せません」
「なんで!」
ももさんは私の反応に必死で食い下がってくる。
だめ。だめです。お願いだから、これ以上は。
「……っきらわれ、たく、ない……」
堰を切ったように、私の目からぽろぽろと涙がこぼれるのがわかる。
ああ、涙を流す機能はちゃんとあるんだな、なんて冷静に考えている自分がどこかにいる。
私が、別物になってしまったと知ったら、どんな反応をするのか、わからない。
私自身は、テセウスの船は部品が変わっても同じ船だと言ったけれど、ももさんも同じとは限らない。
もし、化け物だと罵られ、突き放されたら。私はもう二度と立ち直れない。
「…………」
ももさんは、しばらく驚いたように私を見ていた、けれど。
「ニコちゃん」
やがて、私を抱きしめる。
彼女の体温が暖かくて、とても心地よい。
「もも……さん?」
「ニコちゃん、辛いこと、いっぱいあったんだね。よしよし」
そう言いながら、彼女は私の頭を撫でてくれる。
なぜだろう。私の中のわだかまりが、少しずつほどけていくように感じる。
「大丈夫ですよ。何があったって、私はニコちゃんの味方だから」
―――私の、味方?
「絶対裏切らない。ニコちゃんのこと、嫌いになんてならないから」
―――どうして、そんなこと言いきれるの。
「ニコちゃんのこと、信じてるから。だからニコちゃんも、私を信じてほしいな」
―――信じ、て、くれるの?
「…………う、うぇ」
嗚咽が漏れる。もう、我慢なんてできなかった。
私はももさんに抱きつき、大声で泣いてしまった。
私が泣き止み、落ち着くまで、ももさんはずっと私を抱きしめてくれた。
―――あたたかかった。
落ち着いた頃。私はぽつりぽつりと、自分の身にあったことを話し始めた。
自分が、人間ではなく人形となったこと。
自分の体を、見ず知らずの女の子に渡してしまったこと。
それからの日常に、どこか不安を感じていること。
ももさんは驚いた顔をしながらも、話を遮ったりはしなかった。
最後まで、うんうんと聞いてくれた。
そうして、私が話し終わった頃。ももさんはこう言ってきた。
「ニコちゃん、そのお医者さん、探そう?」
「え?」
「不安なんだよね? ならそのお医者さんに、相談してみよう。
ニコちゃんの体のこと、一番わかってるのはその人なんだし」
「で、でも、どこにいるのか……」
「大丈夫ですよ。私たちに任せてください」
そう言って、ももさんは胸を張る。
「私たち、探偵ですから」
「ももさん……」
ああ、なんて心強いんだろう。
どうしてこんなに頼れる人に、私は打ち明けなかったのか。
「ありがとう……ございます。よろしくお願いします」
「うん、任せて!」
にこっと、ももさんが笑う。つられて私も笑顔になった。
「大丈夫だよ。ニコちゃんは間違ってなんかないから」
そう言って、ももさんは私の頭を撫でてくれる。
あたたかい。不安な気持ちが、消えていく。
そうして、私たちはあの医師を探すことになった。
見つかるかは、わからない。見つかっても、体のことがすべて解決できるかは、わからない。
それでも、もう大丈夫だって、安心感がある。
ももさんが、いてくれるから。ももさんが私を信じてくれるから。
だから、私は、中央坂ニコは、今日も頑張るのだ。