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子なし40代のつぶやき

子のない人生を送ろうとしている。
確固たる意志を持ってそうしたわけではない。
なんとなく欲しいと思わないまま、40代前半を迎え、今のところその気持ちは変わらない。

でも30代も後半になる頃から、無意識に子どもを持たない人生を送っている人を探すようになった。
それは検索したり誰かに紹介を仰ぐといった能動的なものではない。
初対面の同い年くらいの人と会って子育ての話が出た時や、本を読んでいてその著者の我が子とのエピソードが出てきた時に、ああこの人も子ありの人生か、とコンマ何秒落胆する自分を観察して、私は同志を探しているんだと思った。

今の社会では、大人になったら結婚して子どもを持つことがスタンダードとされている。
家族は何より大切なもので幸せの礎である。
身近な人からも子どものある生活の喜びが語られるし、古典にも記されているし、それは真実だろうと思う。
もちろん例外はあるものの、最も高い確率で幸せを掴むことができる道なのだ。

だからその確実な道から外れた場所にいることには孤独感が伴う。
かといって、四六時中孤独に苛まれているわけではないし、解決すべき問題とも思っていない。
でも、ふとした瞬間に現れて、少し掻き乱して、そしてまた気配を潜める、ぼんやりとした存在感で、孤独が常に心に鎮座して居る。

そんなわけなので、やはり近しい思いを持っていそうな人に出会うと嬉しくなる。
それは、眠っている孤独感を呼び覚ますことにはなるものの、それを上回る、「あ、そちらにもやっぱり居ますか」という自分だけじゃない感の安堵が伴う。

最近、ああわかる、と思った出会いをふたつ。

光浦靖子さんの書籍「50歳になりまして」から、妹の子育ての大変さを目の当たりにしながらも自問自答する一文。
「子育てをしていない私は、莫大な時間と体力と心を自分のためだけに使えた、そして現在も使える私は、何を得た?」

益田ミリさんの書籍「お茶の時間」から、出産明けの人との打ち合わせの後、自身の一年前との変化のなさの是非を自問自答する様子。
「あたしゃ、成長してんのかねぇ」
「人は、切なさの数ででも成長できる生き物だっ」
「ハハ、ホンマかいな」

子どもというイベントがない人生は、子のある人生と比べてなんて平坦なんだろうと思うことがある。
妊娠出産子育てから得る経験がない、という欠落を意識する時がある。
だからといって、どうすることもない。
どちらが正しいとか、優れているとかいうことを、判断する必要はない。
そういうことを思う自分がいるということをただ認めて、たまに、それが自分ひとりだけではないということに勇気をもらう。
それで大丈夫。

おわり

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