認めるものと見つめるもの

時々
「あー、美しいものが見たい」
そう思うことがある。


そんな時は
今まで見てきた私の世界に
美しいものがあまりなかったのだ

あったとしても
それを美しいと思えるゆとりがなかった。
つまり、美しくないものに感情を向けたかったんだなー
と、気づく。


"美しい"という概念はそれぞれだけど
私が思う美しさとは
感動を伴うもの、ことである。


父が亡くなり
遥か昔のことに想いを馳せる機会を得て
「こんなものか、私の人生って」
そう度々、呟いている🤭


父が逝った後に残ったものは
バラバラになった家族の絆であり、心。


私が見たい、美しい光景の中には
家族団らんも入っている。

子供の頃には確かにあった日常で
家族で囲んだ、笑い声が響く食卓
あの光景をもう一度味わいたいな

子供の私で。


気持ちが弱くなった時に思い出すのは
やはり人の温もりで
良くも悪くも
原点は両親なんですね。


そういう私は過去生の影響で
もう一度人を信じられるようになりたいと決めて
この世に生まれてきたそうです。


その課題は今も続いていて
クリアできそうでできないもどかしさったら🤣


認めるものが現れて
見つめるものが拡大するのならば

あなたは何を認めて
何を見つめますか?


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