師の影に笑みを
眩しい。
カーテンから差し込む日差しが私の眼を捉え、目を覚ました。
今日も畑での一日が始まる。
相変わらず連日の農作業の疲れは取れないが、野菜は待ってはくれないのだ。
朝から畑に出向き、隣の家のご夫婦と挨拶を交わす。
そして鍬一本で日が暮れるまで畑を耕す毎日。
父の農家から半ば勘当同然で独立した私達夫婦は、農機を買う金などは無く、頼りになるのは自分の身一つだった。
その日もくたくたになりながら帰宅し、一日の疲れを労っていた折、その電話は鳴った。
「おばさん、交通事故で亡くなったって」
電話口の相手が何を言っているのかを理解するまでに、しばらくの時間が必要だった。
え?だっておばさんは朝に挨拶したばかりなのに。
今日も笑顔が素敵だったのに。
こんなにもあっけなく命は失われてしまうものなのか。
全ては夫の会社が倒産したことからこの話は始まる。
私の実家は農家。
夫はそちらを継ぐ決意をするのだが、それまでサラリーマンだった夫は、夢のスローライフと農家の現実とのギャップに衝撃を受けていた。
次第に父のやり方と考えの相違が増え、私の反対むなしく、半ば強引に夫婦で独立就農したのである。
おじさんは、夫婦で農業を始めたいという私たちに、快く自宅の隣の土地を貸してくれた。 つまり、私たちの畑の地主さんである。
独立の願いを叶えてくれた、私たちにとっては恩人 とも言える人だった。
周りからの信頼も厚くしっかりもののおじさんと、
いつもニコニコ笑顔で、周りを明るく元気にするおばさん。
このご夫婦は私たちの理想ともいえる二人であった。
そんなおばさんが亡くなった。
今のおじさんの心落しはいかばかりかと思うと、こちらまで胸が締め付けられる思いがした。
それから数日はあっという間に過ぎ去り、気付けば葬儀の日を迎えていた。 既に成人している、ご夫婦の子ども達も悲しみに暮れている中、おじさんは そっと背中を支えながら気丈に振舞っていた。
一番悲しみが深いのは間違いなく自分であるにも関わらず。
葬儀には事故の加害者も参列をしていたが、おじさんは決して怒ることなく 「あの人たちにも家族がいっぺがら。大変なのはお互い様だ。」
相手を思う気持ちまで持っていた。
私なら顔も見たくない。葬儀に来た時点で追い返すだろう。
人としての強さ、大きさとはなんたるかを、私はこの日に知った。
それまでは全く実感が湧かなかったのだが、おばさんの棺を前にして初めて死という現実に直面し、次から次へと涙が溢れて止まらなかった。
幸いおじさんの家は畑のすぐ隣。
それからというもの私は、事ある毎におじさんの家に顔を出し、少しでもおじさんの寂しさを紛らわせようと必死だった。
ある時は畑で獲れた野菜を差し入れしたり、畑仕事の間に子どもと遊んで貰ったり、冗談交じりでキャラ弁を作って持っていったりもした。
おじさんの喜んでくれる顔が何より嬉しかった。
しかし人生の伴侶を失うという事は、おじさんの心には実のところ相当大きな穴が開いたのだろう。
表では変わらず気丈に振舞いつつも、次第におじさんの元気は無くなり、病に伏せがちになっていった。
しばらくしておじさんが入院したという報せを受け、私はすぐにその病院にお見舞いへ向かった。
しかし当時、世間では新型感染症の流行の兆しが見られており、患者の感染防止の為、家族以外の面会は受付で断られてしまった。
何というタイミングだろう。
一目だけでも顔が見れればと思ったが、それも叶わなかった。
制限が解除されたらすぐに面会に行こうと心に決めていたのだが、丁度そのころ徐々に農業経営の規模を拡大し、多忙を極めていた。
人の思考は怖いもので、あんなに心配で気がかりだったおじさんの事も、忙殺された環境に身が置かれていると、いつの間にか頭の片隅に追いやられてしまっていた。
そしてまた月日は流れ、ようやく仕事と子育てに少しゆとりが持てるように なったころ、ふとおじさんのことが気にかかった。
しかし、これが虫の知らせとでも言うのだろうか。
そろそろ会いに行ってみようとしたとき、おじさんの訃報が届いた。
見ないうちにすっかり細くなってしまったおじさんの棺を前に、お見舞いにも行けなかった自分を嘆いた。後悔した。
情けなさと死の悲しみで涙が止まらなかったが、ふと 「なぁに泣いったんだず。そんな暇あったら、おぼごだぢさんめなかしぇろ。」
とおじさんの声が聞こえた・・・ 気がした。
思わず目の前の棺を見たが、もちろんおじさんは安らかな表情で眠っていた。心なしか笑っているようにも見えた。
確かにおじさんとおばさんなら、こんな悲しみや後悔を引きずった泣き顔の私は見たくはないはずだ。
だって私たちの農園の名前は「笑伝」。
美味しい野菜を作って、食べてくれた人にとびきりの笑顔になってもらい、その笑顔をたくさんの人から人に伝えていこうとこの名を付けたのだから。
いつもおばさんがくれたあの素敵な笑顔を、
おじさんがくれた人としての強さを、
私たち 夫婦はこれから多くの人に伝えていこう。
最後にまた一つ、教えられてしまった。
2024年3月おののさん作
農ママあすかさんとご夫婦へ感謝を込めて
このお話は、実話をもとにして文才のある友人"おののさん"に小説風に書き上げていただきました。
たくさんのことを教えたご夫婦へのリスペクトと感謝をこめて、この気持ちを忘れないでいたいと思い記憶に刻んでおきたいという想いからです。
悲しみもいつか笑顔の種になるように。
感謝と愛を込めて。
最後になりますが、
私のわがままな要望をきいてくださったおののさん、
本当にありがとうございました。
思い出を素敵な物語にしてもらえたこと、本当に嬉しく思います。
このご縁にも心からの感謝をこめて。
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