閉鎖と孤立

小学校は6年間同じクラスだった。クラス替えはなく転校などで多少の入れ替えはあったけど、基本的には同じメンバーで6年間という長い歳月を狭い教室のなかで過ごした。

中学年になるとクラスにスクールカーストのようなものができあがる。僕が覚えていないだけでもっと以前からあったのかもしれない。男子はだいたい二つのグループに分けることができた。ゲームが好きなグループとスポーツが好きなグループ。男子の社会構造はわかりやすい。

一方女子は3人から5人くらいのグループに分かれているように見えた。そこには明確に上下があったと思う。別にカーストの低くない子が、いわゆる上位の子から嫌がらせのようなものを受けているという話を本人から愚痴というか悪口のような感じで聞いたことがある。

僕のクラスではいじめと呼べるほど悪質な嫌がらせは6年間通してなかったと思う。しかしそれに似た陰湿な悪意の雰囲気は常に身近に感じていた。

カーストの一番下はある女の子だった。彼女は背がいちばん小さく、顔もかわいくない。勉強も運動もあまり得意ではなく、いつも毛玉だらけの服を着ていた。授業参観には同じような顔をしたぶすっとしたお母さんがいつも来ていた。だから汚いだとかそういう扱いを暗黙の了解的に受けていた。

そんな彼女と僕は一度だけ同じ委員会になった。委員会は男女二人ずつの4人だった。僕は仲のいい友達と女子は彼女ともうひとり(その子もペアがおらず余り者同士だった)。

僕とそのもうひとりの彼も彼女たちに対して、悪意を持って差別的に接するようなタイプではなかった。だから(というの変だけど)その委員会中はとても和やかな雰囲気だった。僕はそのとき初めて彼女が誰かと自然に話しているところを見た。彼女は活舌が悪く「さ行」が言えずよくバカにされていた。おそらくそれが原因で授業中などどうしても話さなければいけないときはいつもひどく緊張していて、舌足らずで小さな声で話した。

僕は彼女の地声がとても低いことに驚いた。本当はこんなふうに話して、こんなふうに笑うんだと思った。それがなんだかとてもうれしかったのを覚えている。

彼女とは同じ中学に入ったはずだけど、それ以降見かけた記憶はない。同じクラスでも見えなかったのだ。他クラスになったら当然見かけることもなくなる。

***

同じ委員会だったその彼とは、僕が中学三年のときにまた同じクラスになった。そのころ僕は人との付き合い方が急にわからなくなってしまって孤立気味だった。部活の引退と受験が原因だと思う。

そんな僕に彼は小学校のころと同じように話しかけてくれた。たぶん気を使ってだと思うけど、今日の給食の献立を見に行こうと毎日僕の手を引いて黒板の横の掲示板に行くのが日課だった。

あるとき、そんな彼が同じ部活の男子生徒に暴力をふるったという噂を耳にした。その男子生徒が部活に来ないことに腹を立てたのだと言う。彼は関東大会に出場するような選手だった。

彼にはどこか暴力的なところがあった。しかし僕に対しては決してそんな素振りは見せなかった。

***

暴力をふるわれた彼も僕らと同じ小学校でよく知った仲だった。彼は底抜けに良い人だった。誰に印象を聞いても「優しい」と言うだろう。彼には吃音があった。発表の際には必ずどもり、そのたびにクラス中が彼を見た。しかし彼のその性格からか「慌てないでゆっくりでいいんだよ」という雰囲気がいつもクラスに漂った。「さ行」を言えない彼女の発表のときは冷ややかで、やぱり陰湿な空気が流れていたのに。彼の授業参観にはいつもおばあちゃんか、彼と似ていないかっこいいお父さんが来ていた。

中学で彼は柔道部に入った。そんなイメージは全くなかったので僕は驚いた。彼が言ったのか忘れたけど、お金がなくて他の部活には入れないのだと聞いた。格闘技に向いている性格だとは思えなかった。しかし部活をサボるような人では決してなかった。僕はそんな彼が大好きだった。

***

中学時代、僕の部活にもいじめのようなものはあった。ある一人の男子が、執拗にもう一人の男子をいじめていた。暴力をふるったり、下僕のような扱いをしたりしていた。いじめっ子は部活内では中心的な人物だったので、彼の空気が部活内に広がり、いじめられていた側の男子の立場は狭かった。

僕は一度、友人たちとの話のノリでいじめられていた彼をバカにするような発言をしてしまったことがある。友人を笑わせようとボケのつもりで言ったことだった。しかしすぐそばにその彼がいたことに気づき、僕は激しく動揺した。その場は彼に対しておどけて冗談だよとふるまった思う。

最低なことをしたとすぐに後悔した。今でもこうして思いだす。彼の味方にはなれなくても、友達として接することはできていたつもりだった。だからこそ僕は自分に幻滅した。結局お前も彼らと同じなのだと。

その彼とはクラスは別だったが高校も同じだった。高校の三年間で一度だけ、帰り道が同じになり少しだけ話したのを覚えている。彼は僕に「アニメとか見ないの?」と聞いてきた。「アニメかあ、おもしろいのはわかるんだけど、見てないなあ」と僕は言った。それから彼は別れるまでアニメの話をしていた。リゼロとかそんな話だったと思う。

彼は僕に話しかけるときいつもどこか緊張していたように思える。なんだかぎこちないのだ。高校では同じようなオタクな友達と一緒にいるところをよく見た。それを見て、たぶん彼はこれから何とかやっていけるんだろうと思った。運が悪かったのだと思う。

***

いじめっ子だった彼と僕は中学の最後で部活のペアになった。たまに一緒に遊んだりするくらいには仲が良かった。しかい僕は彼のことがずっと苦手だった。いついじめの標的が僕に移るのかわからず、それに少し怯えていた。

結局最初から最後まで彼は僕に優しかった。部活に入りたてのころ、小学校が別だった僕に「○○(あだ名)って呼んでいい?」と少し緊張気味に聞いてきたことを覚えている。最後に会ったのはたしか高校を卒業したころで、部活のメンバーで集まったときだった。

彼は煙草を吸っていて、僕がたまたま灰皿の近くにいたら「ちょっとタバコ吸うから、離れた方がいいよ」みたいなことを言われた。謎の気づかいだけど、僕にはそういったものと関わってほしくないようだった。

彼は顧問の先生に指名され部活の副部長をやった。不真面目だったけど、きちんとやっていたと思う。

***

高校になって僕はだんだんクラスで孤立するようになった。人との関わり方が全くわからず、高校の三年間で友達になった人はひとりもいなかった。スクールカーストというものがあったなら、僕は間違いなくその外に居た。

高校二年のころ、僕の後ろの席の男子も同じようにクラスから孤立していた。彼は僕よりも孤立していたと思う。僕は話しかけられればそれなりに話すし、勉強も運動もそこそこできたおかげで、いつも教室の隅で本を読んでいる人だった。

一年間同じクラスだったし、出席番号の関係でいちばん近くにいたけど、僕は彼が人と話しているのを見たことがなかった。背が高く、いつも猫背で、話しかけても「ああ」とか「うん」しか言わなかった。彼はクラスで唯一スマホを持っておらず、授業などでスマホが必要な場面は教室の前にある埃のかぶったPCを使っていた。

彼とは余り者同士、よく体育の授業でペアになった。ソフトボールの授業でキャッチボールをしたのを覚えている。僕が「やろう」と言うと彼は「ああ」とか「うん」と言った。彼は運動神経が悪く、僕が投げたボールをよくグローブに当てて掴めずに落としていた。彼がぎこちないフォームで投げた球は山なりでゆらゆらしていたが大抵僕のもとへ飛んできた。

僕は一度だけ彼にいじわるをしたことがある。席替えかなにかで僕の前の席に彼がいたときだった。彼は後ろにプリントを回すとき、絶対にこちらを向かなかった。だから僕が気づかないふりをしたらどうなるだろうと思った。当然、体を後ろを向けて手をもっと伸ばすとか、僕の机の上に置くとか何かしらの行動を取ると思った。しかし彼はいつまで経っても、プリントを持った手を肩の上で後ろに向けたまま動かなかった。プリントを揺らすなどして、取ってというサインすら送ってこなかった。

痺れを切らした僕は「ああ、ごめん」みたいなことをつぶやいて、何事もなかったようにプリントを取り後ろへ回した。

***

高校三年になって僕は本格的に孤独になった。一年二年と僕を気にかけてくれていた学級委員長は別クラスになり、余り者仲間の彼も同じようにいなくなった。いつも教室の隅(本当に隅の席だった)で本を読んでいた。僕に話しかけてくる人も僕が話しかけられる人もいなかった。

体育のソフトボール授業の初めにいつもキャッチボールをする時間がある。辺りを見回しても僕の周りには誰ひとりいなかった。みんな誰かとペアを組んでキャッチボールをしている。僕は取り残されたぼろぼろのグローブを左手にはめて空を見ていた。空はどこまでも晴れていて雲一つなかった。

なぜか不思議と校庭がすごく広く感じたのを覚えている。僕の番が来たのだと思った。背後は崖で、それは時間が経つごとに崩れていく。当時、死ぬことばかりを考えていた。しかし結局死ぬことはできなかった。死ぬ勇気がなかったのだ。

結局僕は崖には落ちず、社会に出て週に五日8時間、働いている。それがよいことなのかときどき考える。

いいなと思ったら応援しよう!