日記 snsおやすみちゅうだった

snsおやすみちゅうと投稿してからたぶん一週間も経っていないけど帰ってきてしまった。前にも同じようなことをしたけど、結局一週間くらいしか持たなかったと思う。私はsns中毒なのだ。

おやすみちゅうといいながらも一日に5回はnoteもツイッターも見ていたと思う。snsに投稿しないというゆるい縛りでお休みをしていた。

一週間休んだ結果だけど効果はあったと思う。なんだかすごく頭のなかが静かになった。夜眠るとき冷蔵庫がブオンブオン鳴る音が聞こえて、部屋が倍くらい広く感じた。いつも聞いているはずなのに、「あ、ほんとに冷蔵庫の音って聞こえるんだ」と思った。でも不思議と淋しくはなかった。ただ孤独なだけだった。

休んでいる間に気づいたことなのだけど、いつの間にか私は考えごとがすべて文章になっている。このnoteと同じ文体。誰かに言いたいことはぜんぶツイートの形で頭に浮かぶ。そしてここ最近は「これをやったら日記に書けるかも」という理由で行動していたということにも気づいた。

怖いなと思う。snsに生活を支配されている。でもそんなことは前からわかっていた。それでもいいと思っていたのだ。いまもどちらかと言えばとそう思っている。

私がsnsをお休みしたのはなんだか無性に淋しくなることに気づいたから。みんな帰るべき日常があるのだと思うと淋しくてやるせなかった。それをごまかすようにたくさん投稿した。でも結局それは自分で自分の心に穴を掘ってるみたいなことだった。だから自分で掘ったその穴のなかに入ってみた。

その穴のなかで過ごした数日はとても穏やかだった。だれも私の心に触れてこない。生活は普段と変わらないのに、なぜだかとても静かな日々だった。snsを見ればいつもだれかが何かを言っている。それに対して私は自分なりの解答を出すために常に何かを考えなければいけなかった。頭がずっと動きっぱなしになっていたのだと思う。

noteを書かなきゃという強迫観念もあった。純粋に楽しいから書いている。それでも常に書くネタを探していたし、頭のなかではずっと文章が生み出され続けていた。そういうものから解放された気がした。そして私の求める幸せってこれだなと思った。もう100回は同じ答えに辿りついているのに、どうしてかそれができない

snsを休んでいた間はマンガを見たり、ゲームをやったり、アニメを見たりした。どれも頭をからっぽにしてできるからいい。もし私が創作と出会っていなかったらこういう生活をしていたのだろうなと思った。でもそれは大きすぎる「もし」だし、それにいまのこの人生ってそんなに悪くない。

noteをがんばりたいという目標を年始に立てて、それが空回ったのかもしれない。あと、noteに書く日記の自分とほんとうの自分との間にギャップみたいなものがあったのかも。なりたい自分みたいなものが初めて、でもそれが思いのほか体になじまなかったのかもしれない。

ぼちぼちまたnoteもツイッターも再開していこうと思う。頻度は落として、もう少し頭からっぽの時間を作れるようにする。三年くらいnoteをやっているけどいまがいちばん楽しいから、なるべく良い形で続けていきたい。noteもツイッターもフォロー待ってます~

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