日記 11/8
昨日は昼過ぎにいちおう目を覚まして公園に行くつもりだったが、、
寒い。
寒い!室温も17度くらいまで下がっている。
そのせいなのか眠気も残っており、いまもう起きないと16時閉店の売店には間に合わなくなる。
散々迷ってもう寝ることにした。公園のベンチで風に吹かれて寒がっている姿を想像し、今日は潔くぬくぬく寝ようと。
20時まで寝たら、30分後に注文していた部材が届いた。
マジで翌日配送か。しかもAmazonが直接配送という初めてのパターン。ついに配送業も始めたのか。くわばらくわばら。
部材もそろったので早速、昨日の修理作業の続きを。
職場の備品のキーボード、まぁ電源ケーブルの断線か、差し込み部品のハンダ割れ、もしくは電源スイッチの不具合だろう。
分解して購入した電源ケーブルを差し込み、通電チェック。
しっかりと9Vが入っているのをテスターで確認。
どうせこれで終わりだろうと踏んでいたが、電源スイッチを押しても電源が入らない。
電源スイッチのゴムボタンの破れや汚れ、基盤の汚れで導通してないんだろと踏んで、清掃してチェックしたがボタンは問題ない。
しかし全く電気が流れない。うーともすーともない。
ボタン回りの接触不良なら、普通は一瞬でも点いたりするが全くの無反応。
そして、間違いなくここには電気が来てないとダメだろという解り易い箇所をテスターで計ったが、全く電気が来ていない。入口にだけ電気が入って、どこかでストップしている。
おそらくメイン基盤内でのショートだろうがその箇所を特定するのは不可能。基盤を目視した限りでは特に異常は見当たらない。
電源スイッチの直結等、あれこれ試してもダメ。
2時間半の格闘の末、修理を断念。
正直、修理できないパターンは珍しい。修理のアイデアももう無い。こういう時は諦めが肝心。
よくある電源周りの故障でない時点でもうヤバい。メインの一番大事な基盤がイカれてる。
どんな理由であれ、どこかで電気が流れなかったら機器はそれで終わり。その場所をどこまで特定できるかが知識と経験になる。
僕の知識と経験では今回はここまで。
残念ながらこれは修理不可で廃棄となる。南無。
基盤洗浄剤や接点復活剤も使用したが通電せず。ちなみにこの2つを使用して直ったケースは一度もない。気休め。
かなり昔、他の職員さんが「コンセント変えてもダメだったよ」と言っていたのを覚えていて、いやいや、大体その辺がイカれてるんだよ、なんて思いつつ信用していなかったが、あの言葉は真実だった。
しょうがないと諦め、お次はとエレキギターの修理の続き。
正直こっちの方が修理のハードル高いと思っている。
配線がちぎれたりボロボロになっているツマミ部品を、注文した新品の物に交換する作業。
元の配線がつながっていた場所が解ればそのまま入れ替えるだけなので簡単なのだが、ちぎれてたり無くなってたりで元の接続がほぼ解らない。こりゃ前に諦めたのは無理もない。
ネットの情報も参考にしつつ、まんま同じではないのでとりあえず全て接続し、最後の一本は完全に賭けで接続。駄目ならもう一方のほうにやり直そうと。
まぁどうせダメだろうよと、ちょうど明日職場に持っていく自分のアンプに接続してテスト。
鳴るじゃん!
鳴りますやん!!
ボリュームもトーンつまみもセレクターのスイッチも全部効きますやん!
賭けに一発で勝ったらしい。
これでギターの子にこっちも使えるよと言えるし、出来ればこっちを使ってほしい。
僕の自前のエレキギターはマジでいいやつなので万が一があるとリアルにへこむし、「マジでいいやつだから宝石を扱うように」と伝えているので使ってる方も気を使いまくって大変だろう。
こっちの謎SADSギターなら、ライブ終わった時に投げてへし折ってもいいよ、まで言える。
よかった。修理作業は2勝1敗でギリ勝ち越し。
そして明日のために自分のベースのアンプ音チェックと音色作りを。
男らしく低音フル10、後はミドルもハイもリバーブも0の男の中のオトコの低音ゴリゴリ調整。
音作りは5分で完了。
母親からメールが来て、入院中の父親の容態が良くないらしい。
誤嚥性肺炎で入院、肺炎の経過自体は良好だが、以前から意識があったりなかったりする状態で、ナトリウムかなんかの不足で意識がない時間がだいぶ長くなっているらしい。
意識が無いので食事もまともに摂れないらしく、今後、点滴か鼻から栄養を入れるような延命処置になるだろうとのこと。
どうするか家族で相談を、と医師から言われたとのことだった。12日に歯医者セットで実家に行く予定なので、その時に話す、と伝えてある。
父親は確か84歳とか。
ここ2,3年で着実に衰えていて、認知症は着実に進行し、少しづつ動けなくなり、意識も無くなる時間が着実に増えていた。
間違いなく老衰というやつだ。身体がもう限界を示している。人間の寿命から考えても不思議なことは全くもってない。
僕の意見は、「意識があるときにどうするか本人に尋ねてみたら?」だ。
それが一番だろう。でもきっと、それを聞けるだけの意識ももうないだろう。
そうしたら、鼻から栄養を送られて生きるというのは、生きているとは言い難い。言葉通りの延命措置だ。
たまに意識があるなら延命は必要だが、一日中ほとんど意識がないのなら、それはすなわちもう死を意味しているだろう。
ならば安らかにそのまま息を引き取るのも悪くないじゃないか。と思う。
きっと、医者も家族もみんなそう思っていて、でもやっぱりそうは言い難いだけだ。だから「相談」ということになるわけだ。本人にも決められない場合、家族で決めるほかない。
僕は全く悲しいと感じない。
84歳まで生きられて、抗がん剤治療がエグいほどつらいという癌にも罹らず、ゆったりと寿命を全うできるのは寧ろ幸せなことだと思っている。
父親に対して、「もっとこうしてればよかった」とかも一切ない。父親から出来ることをしてもらったし、僕ができることをやった。
時間が着実に進んでいて、状況は変化していく。
生きている僕は、その時間をもっともっと真摯に、楽しく、精一杯やっていきたい。
以上。
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