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プロポーズを断った理由が分かった気がする
きっかけは一冊の本。
書店で平積みになっていたある本に目が留まった。
八木龍平著『成功するビジネスパーソンは、なぜ忙しくても神社に行くのか?』
そういえば経営者が定期的に参拝するという話、よく聞くような。
私も神社の雰囲気好きだし。
気になって購入した。
スピリチュアル系の話かなと読み始めたのだけど、予想は見事裏切られた。データも多く盛り込まれ、新鮮な話ばかりで興味深かった。
その中のひとつに、仕事に関する記述だけど、人生そのものにも当てはまるんじゃない?と思った箇所があるので引用したい。
お金が足りない、休みが足りない、食べ物が足りないなど、不足は不幸を招きます。この不足を解消すると、不幸もなくなります。
ただ、健康に生きるために必要な分を満たすと、それ以上、収入や休みを増やしても不幸は減らず、幸せにもなりません。
必ずしも「不幸ではない=幸せ」とは限らない、と解釈。
不幸の反対語は幸福。だから私は、不幸をなくせば幸せなのだと思い込んでいたふしがあることに気づいた。
それに「不幸」というワード。
あ、だからあのとき。
もう忘れかけていたくらいだったけど、あまり納得いっていなかった、あのときの理由が分かった気がした。
あとは卒業式を待つだけの大学4年生の3月。
2年くらい付き合っていた年上の彼から、「結婚して」と言われた。
なんの前触れもなく、突然。
人生初のプロポーズに胸が高鳴った・・・のだけれども。
すぐさま平常心を取り戻すことになる。
そのあとに続いた「不幸にはしないから」という彼の言葉に違和感を覚えたからだ。
この「不幸にはしない」という言葉がどうも引っかかり、この言葉としばらく向き合い続けた記憶がある。
そして次のように結論づけた。
「~しない」という否定形が消極的な感じがする。
それに、夫婦ってお互い協力し合うものなのに、一方的な言い方。
もう忘れかけていたとも言えるのだが、この結論をもったまま今まで生きてきた。
結局私たちはお別れした。
今考えると、どうして話し合わなかったのだろう、抱えた違和感をどうして彼にぶつけなかったのだろう、とも思う。
自分の考えた結論に納得できていなかったから?
いや、それも含めて相手にしっかり自分の思いを伝えられなかったという事実が、この結果を物語っている。
もちろん、住むところがあって、ごはんが食べられて、着るものがあって、といった不足がない状態は必要なことだし、大事なこと。
でも、それはこのふたりでなくてもできる可能性がある。
ふたりで人生をともにするなら、ふたりでしか感じられないような幸せを描きたかった。
社会に出る前の、未来に対して大きな不安と少しの期待をいだいていた当時の私の想いが、ようやく言語化できたような気がする。