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【YouTubeの原稿】男としての苦悩 女としての光 今、重なるグラデーション❗

~はじめに~

こんばんわ! 二木岡nikkiです。今日は号泣必至です。世界一への女性の軌跡をお話ししていこうと思います。

その方は生まれたときから女性に憧れいじめにも合い折れそうな心を何とかつなぎ止めていました。               そしてその数十年後LGBTの美しさを決める世界大会で優勝。

その方の名前ははるな愛。それでは早速行きましょう。


~幼少期~

はるな愛さんは幼少期の頃からもうすでに男である自分に疑問を持っていました。    ちなみに本名は賢示です。この意味は男らしくなってほしい!という思いもありました。そんな中もっと男らしくなってもらおうとお父さんは空手を息子に習わせました。もしかしたら息子には男の中の男の仕事。警察官、もしくは格闘家にでもならせるつもりだったのでしょうか?父の夢は膨らむばかりです。もちろんそんな夢なんて数十年後粉々に打ち砕かれる訳ですが。
そんなはるなさんは「なぜあたしはぶつがついているんだろう。この気持ちは何」とずっと思っていました。そしてその気持ちは爆発し可愛い女物の下着を何点も購入します。
そんな中、弟さんがたまたまお兄ちゃんのタンスを開けたときそのお色気むんむんの下着を見つけます。当然弟さんは混乱しますよね?昔は今ほどトランスジェンダーなんて言葉がなかった時代。息子さんはこう思ったと思います。「パパの浮気? 家庭崩壊? お兄ちゃんオカマ?」様々な憶測がある中「よし!見なかったことにしよ」そう思ってタンスを閉めました。
小学時代には地元のモノマネ大会などに出て松田聖子さんのモノマネを披露しお父さんに叱られる事もありました。
中学生ではその事をうっすら感じ取った同級生にいじめられます。ひどいものだとグラントで引く白線などを飲まされたりました。何度自殺しようと思っただろう。しかし「自分がいなくなった家族が悲しむ。いじめに負けるか」という思いでいじめに耐えます。そして中学を卒業後、高校生の時に父へのカミングアウト。この辺りは健示という名の男らしさを感じますね。父も「やるならとことんやれ!」と受け止めた辺りは男を感じます。その後高校を中退。


~売れない時期~

そしてニューハーフがいるお店で働きました。そしてアイドルを夢見て東京へ上京。しかし現実は甘くはありません。
芸能の仕事はあまりなく食べていくのにも必死でした。そんなこのまま大丈夫だろうか? やっていけるのだろうか?そう思う中母のいる岐阜のもとへ帰りました。
その時母から「仕事は大丈夫なの?」と聞かれ、

「うん!大丈夫! ただ全国では放送されてないだけ」と嘘をつきました。

何も言わない母。そう母はすべてを分かっていました。そして「苦労は絶対報われます」と書いた手紙と二万円を渡しました。
その時のはるなさんは感動のあまり母の優しさに胸が苦しくなり涙が止まりませんでした。
その後は本人の努力と路線を変えることにより美形ニューハーフタレントとして知名度はどんどんあがっていきテレビへの露出も増えました。


~栄光の光~

そして2007年、子供の頃から憧れていたニューハーフで美を競う大会で4位を獲得。次の2009年ではニューハーフの二回目の出場で優勝を勝ち取ります。その映像があるのでご覧ください。本当に美しかったです。そこからは共立美容外科のCMにもでていますし今後の活躍にも期待したいです。

なんてとこでは今日は終わらせません。今回は貴重な男性姿のはるなさんの映像もあるのでどうぞ!
何か宝塚みたいな感じでしたね。男も女も経験した彼女。
今振り返れば激動の人生だったと思います。ただこんな激動だったからこそ自分のアイデンティティを見つけ今の自分に誇りを持っていると思います。
今となれば心も体も女性になった彼女。また生まれ変わっても自分になりたいと。

とある記事で言ってました。

そんな彼女からの名言を持って今日は終わろうと思います。「人を知る=自分の広がり」この言葉、様々な経験をしたから彼女だからこそ出てきた言葉だと思います。
自分の可能性を広げるのは人という事ですね。

~YouTubeの動画~


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二木岡nikki

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