『パンとサーカス』(島田雅彦著)――今年最も“ヤバイ”小説を読んで考えていること
島田雅彦さんの『パンとサーカス』(講談社)を読み終えた。500数十ページの分厚さだが、フィクションとは思えないリアルさと小説ならではの面白さを兼ね備えており、飽きさせなかった。一言でいうと今年最も“ヤバイ”小説だと思う。ネタバレにならない範囲で言及すれば、舞台は現代日本――。対米従属の現実の中で、貧困層の不満と絶望がじわじわと広がり、連続政治テロに発展する。日本の政治、統治機構自体の機能不全、CIA などの諜報機関を駆使して世界を操るアメリカ。立ち向かう若者二人(東大法学部卒のCIAエージェントと暴力団二世)と余命残り少ないフィクサー。彼らが仕掛けた“世直し”の行方は――。
ちなみにタイトル『パンとサーカス』は、以下に由来する。
(Wikipedia「パンとサーカス」から引用)詩人ユウェナリス(西暦60年 - 130年)が古代ローマ社会の世相を批判して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。
この小説は、もちろんフィクションではあるものの「アメリカに尻尾を振る以外何の能力も持たずに8年間政権を維持してきた日本の首相」といった表現が散見され、現実の日本の状況を連想させる。この本は2020年7月から21年8月にかけて中日新聞やいくつかのブロック紙で連載され、第一刷り発行は22年3月である。そして、7月に安倍総理銃撃事件が起きた--。どうです。“ヤバイ”でしょう?
「事実は小説より奇なり」とは本当によく言ったもので、銃撃事件は当初の想定をはるかに超えて日本の混迷を深めている。 “政治と宗教”、“政治とカネ”問題は、岸田政権閣僚のドミノ辞任に至り、なお、不透明極まりない状況で2022年の暮れを迎えようとしているわけだ。
アメリカという国の難しさ、怖さ――。あるいはCIAなどの諜報機関の実態は、ある種の歴史的資料の開示を経て、最近ノンフィクションの分野でも作品が相次いでいる(すみません、この辺りは正直言って決して僕の専門分野ではないです)。例えば『ロッキード疑獄』(春名幹男著、2020年刊行、第21回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞)、『ロッキード』(真山仁著、2021年刊行)などは、田中角栄という政治家がどのようにして破滅に至ったか――。俗説、謀略説をそのまま受け入れずに、事実に迫ろうとしている。
まあ、日々のニュースにため息をつきながら、今は『ロッキード疑獄』を読み進めているわけだが、『パンとサーカス』の読後感にはどうしてもある種の絶望感、諦めみたいなものがつきまとう。人は謀略説や暴力の前に、ポジティブに生きる意味を疑ってしまうようなところがあるじゃないですか――。
というようなメンタルで、最近はやや憂鬱な日々を送っているところがある。あるいは日本や世界も難しい憂鬱な時代だと感じているのだが、それをしばらくは忘れさせてくれそうなのがサッカーワールドカップだ。まさかのドイツへの逆転勝ちで、日本中が“ハイ”な気分に包まれている様子。もちろん自分自身も次のコスタリカ戦を楽しみにしている「にわか」だ。これぞ“サーカス”と言ってしまえばそれまでだけれど……。