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ロシア戦勝記念日に考える 『同志少女よ、敵を撃て』

5月9日(月)は第2次世界大戦の対ドイツ戦勝記念日だ。ロシアのプーチン大統領はモスクワの「赤の広場」で開かれた軍事パレードに出席し演説した。ウクライナ侵攻については「唯一の正しい決定だった」と持論を展開し、北大西洋条約機構(NATO)がロシアに脅威を与えていたとの一方的な主張を改めて展開、侵攻を正当化した。

軍事パレードと演説が行われたのは日本時間の午後4時過ぎだった。日本の株式取引が終わった後だが、僕自身の心象としては、この日の日経平均株価684円安という大幅反落のにも心理的な重しになっていたように思う。資源高や食料品高を通じて根深いインフレにつながっているという意味でも、地政学リスクが、もはや過去30年間とは違う次元のレベルになってしまったことを再確認させられているという意味でも……。テレビ画面で見たプーチン大統領の演説とロシア軍パレードの“勇ましい”風景は、現代のものとは思われない、思いたくないような絵柄だった。しかし、これが今、現実に自分たちが生きている世界だ――。

ロシア・ウクライナ危機を予見したかのような『同志少女』

大型連休中に読み終えた本の1つが『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬著、早川書房)だった。第11回アガサ・クリスティー賞受賞、2022年本屋大賞受賞などでも話題だが、何と言っても今、現在進行中のロシア・ウクライナ危機に重なるリアルさにはっとさせられる。第2次世界大戦、独ソ戦の時代を描いたフィクションで、書かれたのは概ね2020年。出版されたのは2021年のことで、ロシア・ウクライナ危機の直前だ。現実の危機が起こってしまったことが、小説の話題性を一段と高めているのは間違いないが、偶然だけとは思えないタイミングの一致は、著者である逢坂氏の暴力に対する問題意識やロシア文化、歴史、戦争への関心などいくつもの要因が重なった末の、ある種の奇蹟だと思える。

独ソ戦に関する文献、関心の広がり

小説の舞台は、独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村から始まる。主人公の少女セラフィマは、急襲したドイツ軍により家族を含む村人がほぼすべて虐殺されたことをきっかけに、女性だけの狙撃兵部隊の一員となっていく。小説ではあるが、史実を丹念に調べ上げたうえでのフィクションと推察できる。実在した軍人、政治家、また女性狙撃手が登場する。近年漫画化もされ話題となっていたベラルーシのノーベル文学賞受賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫、多数のインタビューからなる証言集)も重要なモチーフを提供したという(高橋源一郎のNHKラジオ『飛ぶ教室』で逢坂さんと高橋さんが話していました)。自分の本棚で“積読”になっていた『独ソ戦 絶滅戦争の惨劇』(大木毅著、岩波新書)も読み進めている。『独ソ戦』は2019年の出版で、こちらも結構な話題になっていた。大木氏が「はじめに」で触れているように、日本人の独ソ戦争観を塗り替える、史実に基づく日本語で読める文献が、少しずつ広がっているのだろうと思う。

戦争の不条理、民族の対立、女性や子どもに対する暴力――。目を背けたくなるようなシーンが続くわけだが、目を背けるわけにはいかない。逢坂氏の筆致の見事さもさることながら、ベースには史実があるという重さに引き付けられ、現実のニュース、ロシア・ウクライナ危機と重ね合わせながら読み進めた。強く主張したい。この本は「今最も読まれるべき小説」だ。

新鮮な経験“聞く読書”

さて、ひとつだけ蛇足。実はこのところ、有料朗読サービス「オーディブル」を愛用し始めている。この小説も紙の本と朗読を行ったり来たりしながら読了した。まあ、なんです。目もしょぼしょぼ疲れる一方だし、バスに乗って揺られながら、歩きながら、風呂に入りながら聞く読書も新鮮だ。対象の本は急速に広がっているようだし、“AI朗読”みたいなことではなく、プロの声優や俳優が人間の声で読んでくれる。あと、聞く早さも調節できたりする。これはこれでしばらくはまりそうな気配です。

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