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K-POPの日本進出を可能にした、BoAと東方神起

ヨロブン アニョハセヨ!日韓のすゝめです^^

最近は、BTSTWICEBLACK PINK、そしてNiziUなどなど…
文化的な側面において、日本と韓国の結びつきが強まりましたよね!

そんな現在を第3次韓流ブームと我々は呼んでいるわけですが、
今回は、K-POP音楽が日本に根付き始めた第2次韓流ブームについて、解説したいと思います!


この記事を読むと、、

#韓国の文化政策を知る
#BoAと東方神起が日本進出への道を作り上げた背景がわかる


それでは参りましょう!


韓国の文化政策

1990年代後半から2000年代初頭にかけて広まったK-POPは、
元々、韓国の音楽が海外市場に進出するために使用され始めた言葉でした。

君塚太氏の著書、『日韓音楽ビジネス比較論』には、
「内需」のために生まれたJ-POPと、「外需」のために使われるK-POPのように表されています。
https://www.amazon.co.jp/日韓音楽ビジネス比較論-君塚-太-ebook/dp/B01N78J7QH
『植民地時代から少女時代へ』によると、
K-POPの市場規模は世界第2位のJ-POP市場約15分の1でした。
近年はK-POPが上位にシフトしつつあり、2018年の世界の音楽業界の売上規模は、
1位 米国、2位 日本、3位 英国であり、韓国は世界第6位にランクインしました。
https://www.amazon.co.jp/植民地時代から少女時代へ-福屋-利信-ebook/dp/B01LZH2K1U/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%8B%E3%82%89%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%B8&qid=1605451190&s=digital-text&sr=1-1

ここまで大きく、K-POPが成長してきた背景には国家単位の戦略があったのです。
韓国では、1999年の「文化産業振興基本法」、2001年には「コンテンツ・コリアビジョン」を発表し、
韓国コンテンツ産業に対し国を挙げての資金援助がなされました。


岸博幸氏によると、1999~2003年の4年間で約1300億円の財政資金がコンテンツ産業に集中投資されたと表しています。
K-POPが小さい国内市場から日本と続き世界へ進出できた背景には、
国家規模のコンテンツ政策が携わっていたのです。


日本進出への一歩を踏み出したBoA

まさに、韓国がK-POPの世界進出に援助を始めた頃、日本での成功を掴んだ人物がBoAでした。

『植民地時代から少女時代へ』に記載されている、SMエンターテインメントの李秀満の分析によると、
それ以前に日本デビューしたS.E.S.が成果を出すことができなかった要因を、
「日本は韓国に対して優越感を持っていたため、時代の一歩先を行くS.E.S.を受け入れきれなかった」ためだとしています。
歴史的観点からみても、植民地支配をしていた日本人の韓国人に対する優越感は、潜在意識の中に根付いていたようです。

そこで、このような背景を考慮し、
BoAはJ-POPシンガーとして日本デビューし、韓国人であることを公にはしなかったのです。
このことを、あらゆる韓国音楽の研究本にて、「グローバル化」とは逆の「ローカライズ化」という言葉で表しています。

BoAは4枚目のシングルでブレイクし、遂に第53回NHK紅白歌合戦への出場を果たしました。
https://music.apple.com/jp/music-video/listen-to-my-heart/274751545

そして、徐々に日本で人気が根付いたころから、BoAは自身の韓国人としての思いを述べるようになるのでした。


K-POPを日本に確立させた東方神起

BoAによって確立された日本進出を、
K-POPの「現地化」から「国際化」に塗り替えたグループが東方神起でした。
日本デビュー当初は、J-POPの作家によって作られた曲を多く歌っていました。
ところが、2008年にブレイクした“Purple Line”では、
李秀満がプロデュース、曲作りからMVまですべて韓国チームで制作したことで、K-POPという韓国の音楽ジャンルが日本で確立され始めたきっかけとなったのです。

『植民地時代から少女時代へ』でも福屋利信氏は、
「“Purple Line”は、韓国アイドルグループの日本市場におけるプロダクション手法において、ターニングポイントになった曲」と述べています。

https://music.apple.com/jp/music-video/purple-line/307895197

K-POPが、日本人の国民感情に合わせナショナリティを隠しながら確立していった「ローカライズ化」から、
ありのままの姿で日本進出を成功させる「グローバル化」に変化していく契機となったのでした。


まとめ

K-POPを日本に根付かせたBoA東方神起
今でこそ、当たり前のようにK-POPを聴いていますが、
韓国のコンテンツの日本進出の背景には、乗り越えなければならない高い壁があったのです。
日本と韓国には、切っても切り離せない歴史が生み出した深い溝があります。
だからこそ、文化的な側面から両国の関係を改善していくことも、1つの手段となり得るのではないでしょうか。

第3次韓流ブームの今、ターニングポイントに戻って
BoAや東方神起の曲を聴き直してみてはいかがでしょうか✨


参考文献

李栄薫、『反日種族主義 日韓危機の根源』、文藝春秋、2019年11月14日

上田裕資 、『世界音楽市場で「Kポップ」が躍進、売上は前年比18%増』Forbes JAPAN、2019年4月4日、https://forbesjapan.com/articles/detail/26466(2020年10月8日アクセス)

岸博幸、『韓国がアカデミー賞をとって日本がとれない「根本的な差」』、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科、2020年2月14日、https://diamond.jp/articles/-/228716 (2020年10月8日アクセス)

君塚太、『日韓音楽ビジネス比較論―K-POPとJ-POP本当の違い』、アスペクト、2012年4月23日

福屋利信、『植民地時代から少女時代へ』、太陽出版、2013年7月3日


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