ちょあ

互いの違いを受け入れるからこそ手に入るもの

どうも!日韓の架け橋フジモンです。

「異端者は省く!」的な勢いで、何かしらを批判や差別の対象にしたがる人が多い今日この頃…

日韓もバチバチしております。

先日、日韓なんでも同好会サポーターズの団長と話していた時も言われていましたが、

防弾少年団のジミンの原爆Tシャツの一件の時も、クラスの韓国人の子に対する揶揄系があったり、「日本の土を踏むことを許せない」的な発言も飛び出していたようです。

(ただ、学生諸君に関しては自分で税金払ったり、社会貢献して初めて日本のことを口にした方がいいよ、って思う。)

いやはや、みんな戦いが好きだこと、、、
個人のファッションすら戦いの対象になってしまうのは、世知がない世の中です。

そもそもその服をデザインした人はどうなんや〜とか色々悲しいものです。

ただ、ただただ悲しみに打ちひしがれてても世界は変わらないし、どんどんズレていっちゃうので、僕は僕で小さい影響力ながら自分の考えを発信することで世の中に一石そっと置いておきたいと思います。
(一石投じることができる影響力持てるようにぜひご支援を笑)

なんで戦うのか?

人類の歴史は戦いの歴史といっても過言ではなく、そもそも食物連鎖がそのものなので、生きている以上、何かと戦っているのは間違いないです。

ただ、深堀りしていくと、戦うのは生きるためであり、食物連鎖の場合は、「食わなきゃ死ぬぞホトトギス」的な原理で、生物的に生きるために必要な戦いですので、こればっかりは「生けとし生けるものに感謝、いただきます」

ただ、ここで人類の歴史を深堀りすると面白いのが、ホモ・サピエンスが農耕文化に入る前の狩猟民族時代はそれこそヤバイ生き物と戦っていたわけです。

こういうのに知恵と集団の力で立ち向かって霊長類チャンピオンになっているのが人類です。

非力で個人の力は大したことがない人類は、言語や文化を駆使した集団による緻密な強調と知恵による技術発展によって、団体戦で常に勝ってきてます。

そして人類同士の争いはホモ・サピエンスとネアンデルタール人の争い然り、農耕民族となって領土だったり、背負うものが増えたあたりから加速しているわけです。

つまり、守るものが自分の命だけじゃなくて、領土や家族になり、どんどん時代が進んで行く中で個人の精神性の部分にまで及んできているのが現代。

恐ろしいことに、メディアコントロールをバンバン受けながらそれがあたかも“自分の考え”だと錯覚し、“周りもそうであるはずだ”と安心し、“みんなでやれば怖くない”根性で誰かを叩く。

よもや“見えない何か”が人間を操っているかの如く。

だって本来であれば、
もうこの時代、服のデザインなんて様々だし、プリント系のTシャツってストリート周りでは結構流行ってるし、

あとそもそもストリートとかデザイナーブランドって社会に対するメッセージ強めなので過激なデザインもあって、

「それもおしゃれ」みたいに成り立ってる時代ですよ。

たかがTシャツデザイン一つで騒がれる必要なんてないはずじゃないですか。

つまりここで僕が言いたいのは、「なんのために戦うのか?」の矛先が、

物理的にも技術的にも豊かになったこの時代、そして先進国においては

「生きるため」というよりも、

「自分の存在を認めるため」に誰かを陥れる側面が強くなっているようです。

情報社会になって、細かいことでも知れるようになり、情報は溢れ、人とも気軽に繋がれるようになったことで、

自分よりも上位の存在や目立っている存在への羨望や嫉妬もまたより身近になりました。

何故ならば、SNSやメディアの発展で他の人の批判も見れるようになったからです。

つまり、先進国についてはある意味「衣食住」はある程度満たされているので、そういう人達ほど生物的ではなく、精神性の部分で「生きるために戦っている」のでしょう。

そして、僕から言わせると結構「気のせい」なので、自分がハブかれないために仮想の敵作っちゃうのって何も生まれないし、砂上の楼閣じゃないかな?って思っちゃうわけです。

それよりも僕は違いを恐れる、弾くのではなく、受け入れた方が良いこともたくさんあるよってことを説きたいです。

互いの違いを受け入れるからこそ手に入るもの

前置きが長くなりましたが、ようやく本題です。

敵は敵しか生まないし、キリがないのは戦争の歴史が物語っているので、あんまり繰り返したくないのが正直なところです。

ただ、僕も国家間のややこしい問題に関しては中々口出しにくい(分からないことが多いので。まぁおそらく老害問題が大きいだろうけど)ので、

個人〜小さい集団ベースでお話をしていきたいと思います。

(ここで言う大きい集団が大企業や国っていうものです。)

まずこの話の前提にあるのが、意外と個々人の違いを受け入れているからこの世界は成り立っているっていうことです。

どういうことかと言うと、例えば、

僕は自分でヘアーカットをすることはできないので、プロの美容師さんにカットしてもらっています。

「いやいや当たり前でしょ!」って言われると思いますが、これこそが違いを受け入れている証拠なわけです。

僕にはカット技術が無いし、やっぱ後ろ髪は見えないし、ちゃんと望み通りのカットはできません。

でも、僕がかれこれ4〜5年?お世話になっている北島さんにはその技術があります。

(実際K-POPアイドルとか日本のアーティストのヘアメイクもしてるほど)

だから僕は自分にはないものを相手が持っていることを受け入れ、お願いします。

これはあくまで一例ですが、世の中は全てそれで成り立っています。

だからやはり韓国で言えば、K-POPは一つの武器なわけだし、韓国のポテンシャル高さがそれだけでも分かります。

そして、僕の日韓の架け橋もそうですが、やはり一人ではできません。

僕が言うところの日韓の架け橋は、

個人個人の繋がりの輪を広げて、笑顔と相互理解で繋がっていくこと。

そして、メディアコントロールや外交問題、歴史問題といった壁を越えて、日韓が手を取り合い、友好関係を築けるような一柱になることです。

要は「手を取り合って過去を越えて未来を一緒に進みましょうよ!」っていう世界観です。

そして、そのために今の僕の活動があるわけですが、

やはり韓国語講座一つ取っても、韓国の知識一つ取っても、何かを知りたい、やりたいって思った時に、自分一人の力では限界があり、

やはり韓国人の友達の存在はものすごく大きいです。

そして、僕自身がこの思いを持つのに至った背景には、

初渡韓で世界観が変わり、メディアで偏見を持っていた世界とは全く違うことを知ったこと、そして人間関係の中で韓国人の温かさを知ったことがあります。

もちろん、良いことばかりじゃないし、「合わないかも」って思うようなことだって人間関係の中では多々ありますが、それは「韓国だから」だけじゃなくて「個性」もありますよね。

それらをひっくるめて一旦受け入れた時、僕には夢を応援してくれる友達や仲間が手に入りました。

「それ実現してよ!」「すごい良いよ!」「手伝えることあったら手伝うよ!」

その一言一言が力になります。

そして、現に韓国語講座やインスタグラム運営、ガイドブックにおいては毎日助けてもらってます。

それ以外にも、技術的な部分だろうとなんだろうと、僕にはできないことをできる人はたくさんいます。

そうやって違いを受け入れ、認めた時、お互いの中に芽生えるものは何なのか?

それを一言で表す言葉はまだ見つかっていません。

でも少なからずその芽生えから、一緒に進む中で絆や愛っていうものに育っていくのだとすれば、僕は全ての始まりは“それ”だと思うんです。

ただどちらにしても自分自身が前に進むための力は手に入る、自分の不足を補う何かが手に入る。

それが互いの違いを受け入れ、認めることだと思います。

いや、そうやって今の人類や世界が発展しているわけなので、僕は確信しています。

だからこそ、バッチバチとやっている世界ではありますが、そこから目をそらすのではなくて、あくまで受け入れた上で、

「自分はどう在るべきなのか?」

「自分はどうしたいのか?」

を冷静に考えて、周りに流されて、周りのレールに乗せられないようにしてほしいです。

だからこそ、韓国を愛している人や好きな人にとっても、それは逆で日本が好きな韓国人などにとっても、まだまだ悲しいことや悔しいこと、どうして良いかわからないことはたくさんあると思うんですが、

『今すぐ』は無理でも、この先の未来には可能性はあるわけなので、

理想の未来や関係性っていうものを自分自身が模索して、歩んでいくのが

『今やるべきこと』なのだろうと思います。

僕は日韓なんでも同好会を、“日韓の架け橋”という軸で繋がった自由な居場所にしたいと思い、今活動しているので、ぜひぜひ、共感してくれる人や応援してくれる人がいたら嬉しいです^^

そして、もっと多くの人達にこの考えや日韓なんでも同好会が広がっていくように、これからも走っていくのでどうぞよろしくお願いします!

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