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ICL手術を受けて2年経った

小学2年生の秋から、視力が少しずつ落ちていった。
父親は今も裸眼、母親は強めのコンタクトレンズ使用者なので遺伝かどうかは分からない。
夏休みにコロコロコミックを読みすぎたのかもしれない。

理由はさておき、ガキの頃から眼鏡に頼る人生だった。

今とは違い快活でアクティブだった当時、毎日のようにフレームは歪み、レンズは外れ、
その度に修理に行った。
イトーヨーカドーに入ってた和真の店員さん、ありがとう。

年を追うごとに視力は低下していき、レンズは厚くなっていった。

これ以上は虫眼鏡になっちまうってところで中学を卒業し、イメチェンのごとくコンタクトデビューを果たした。

購入当初からそうだったかは覚えていないが、
使っていたのは-7.0のレンズだった。
もはや裸眼では数十cm先にいるのが誰だかさえ分からない。

日中はコンタクトを着け、それ以外は眼鏡をかける生活を約7年続けた。

そして大学を卒業するあたりで、ICL手術なるものを知った。
レーシックが2000年に認可されているのに対し、
ICLは2010年に認可されたばかりということもあり術例は少なく認知度も低かった。

ICLはImplantable Contact Lensの略で、その名の通り
目の内側に人工レンズを挿入する手術のことである。

文字面はかなりグロいが、実際はそんな事はない。

ということは無く、普通にグロい。
眼球かっ開いてレンズぶち込んで閉じるんだから
グロくないわけない。

レーシックではなくICL手術を選んだ理由としては近視戻りの可能性がより低いから、というのが大きい。
あと角膜削るってのに抵抗があった。

実際親族にレーシック手術を受けたにも関わらず
数年後に視力の低下が発生したケースがあり、
術例の少なさと天秤にかけた結果、ICLに決めた。

手術を受けたのは品川近視クリニック
クリニック選びは費用や安心感など様々だと思うのでここでは特に言及しない。
気になる人は連絡くれればいくらでもお伝えします。

初回はカウンセリングや目の検査を無限に行った。
印象的だったのは挿入するレンズの度数を決める検査。

眼鏡を作る時と同じような検査用の眼鏡をかけ、
度数の異なるレンズをカシャカシャと入れ替えて
最適な度数を決めていく流れだったと記憶してる。

その中で「どれくらいまで見えたいですか〜?」と言われた。
特に理由なく1.5くらいですかね〜と答えたら1.5になった。
3とか言ってたらどうなってたんだろう。
だれか試してみてください。

そこでの検査結果と度数をもとにレンズを発注するらしく、それが届き次第手術になります、とのことだった。

数ヶ月かかるのもザラだと聞いていたので気長に
待っていようと思ったら、2週間後くらいに連絡が来た。

心の準備をする間もなく、手術日が決まった。

数日前から、コンタクトレンズの使用が禁じられた。
手術をするんだな、という実感が少しずつ湧いてきた。

骨折や入院の経験がなく、予防接種以外で10年以上
病院に行っていない人生だったので、手術という言葉に馴染みがなかった。
失明したらウケんね〜と思いつつ当日を迎えた。

手術前にも複数検査を行う上、麻酔を効かせる必要があるのでクリニックに行ってから実際に手術を行うまでは3時間くらいかかったんじゃないかと思う。

麻酔といっても部分麻酔、特に目の部分だけなので普通に歩けるし、声も聞こえる。

規定の時間を過ぎ、手術室に呼ばれた。
手術前最後の検査はかなり鮮明に記憶に残っている。
機械を覗き込む形で待機していると、かなり強めに眼球周りを圧迫されながら、視界が赤と黒の二色になった。

電脳空間というか、そんなイメージ。
輪るピングドラムの終盤にこんな演出あった気がする…とか思ってたら検査が終わったらしく、手術台へ移動。

先に書いたように痛みだけが効かなくなる麻酔なので当然視界も開けたままである。
まあ裸眼なのでほとんどぼやけていて分からない。

瞼を固定する器具で目を開けっぱなしにされた後
液体で覆われた。
水でいっぱいにしたゴーグルを着けて目を開けてる感じ。

涙と同じような濃度だから沁みたりはしない、みたいなことを先生が言ってた気がする。実際違和感はなかった。
エヴァのLCLみたいなもん。

いよいよ手術が開始した。
手術台上部の照明を見続けていろ、と言われた。
逆張り天邪鬼の血が騒いだが、人生がかかってそうなので指示に従い無心でぼやけた光を眺めていた。

眼球に違和感。レーザーが当てられ、切開が始まった。
カウンセリングの段階でより安全性の高いレーザーを選んだがメスで開く方法もあるらしい。おもろ

ほんの少しの鈍痛が数分続いた。
じーんというかずーんというか、そんな感覚。
眼球にレーザー当たってんのに、麻酔ってすごい

手術は一瞬だった。片目5分、計10分程度。
液体が取り除かれ、手術台が起き上がった。

世界が霞んでいた。うっすらと白く。
術後はそうなると聞いていたが、少し不安だった。

そこからは別室で30分程度慣らす時間があった。
視界の霞みはこの30分である程度軽減されたが、
まだ異物感は残っていた。視野も明瞭ではない。

近くまで車で迎えにきてもらい、帰宅した。
電車でも帰れなくはないが、かなりの頻度で
複数種類の目薬をさす必要があるので、可能なら
誰かに車で迎えにきてもらった方がいいと思う。

そこから1週間は保護眼鏡をつけながら、定期的に3種類の目薬をさす生活が続いた。
手術から3日間は風呂にも入れず、顔も洗えない。
寝てる間に目を触らないよう、就寝前にカバーをつける。

手術の痛みや恐怖は全く苦じゃなかったものの
このあたりは少しストレスだった。

金曜日に手術をしたので土日は安静に過ごしたが
翌週からは普通に仕事をしてた。
基本リモートワークだったのがかなり助かった。

出社日は保護眼鏡をつけていくのがだるかったのでブルーライトカットの眼鏡で代用した。

そうして手術から10日ほど経ち、違和感は無くなった。
目薬や保護眼鏡の制約もなくなり、通常の生活に戻った。

そうして、第二の裸眼人生が始まった。
あまりにも快適で、楽な人生が。

夜寝る直前まで、目が見えている。
朝起きればもう、目が見えている。

普段の生活が快適になったのはいうまでもないが、個人的には旅行や突発的な外泊が断然楽になった。

今までは旅行となれば日数分+αのコンタクトレンズと眼鏡を荷物に入れなければならなかった。

友達と飲んでいてカラオケで朝まで…なんて時は
目がボロボロだった。
そうなりそうな時はリュックに眼鏡を入れておくこともしばしばだった。

そういった細かなストレスから解放された。
運転免許の「眼鏡等」も、更新と共になくなった。

確かに手術代は高額だが、今後死ぬまでコンタクトを買うコストを考えれば、数十年で元が取れる。

何より、ストレスからの解放はプライスレスだった。
もう出かける前にコンタクトがうまく入らず
イライラしながら間抜けな顔をし続けることもない。

ただ、デメリットが0ってわけではないんだな。

目の中に挿入するレンズはその性質上、レンズ自体に小さな穴が空いている。
合併症となる白内障のリスクを下げる為とのことだが、これにより、光の周りに円状の反射が見えるようになった。

イメージはこんな感じ。基本気にならないけどね(画像は眼科こがクリニックHPより)

慣れるし日常生活ではほぼ全く気にならないのだが、夜間の運転時は少し違和感がある。

あとは、認可されたのが2010年なので当然手術例は少ないし
術後の後遺症などの情報もまだまだ不十分ではある。
30年経ったら突然失明する、みたいな可能性も0じゃない。

それでも、手術する価値は存分にあると思ってる。

手術してからもう2年が経った。
その間に車中泊で日本一周をし、今海外で暮らしている。

その決断をする時、もしコンタクト生活のままだったら?
衛生面や管理、購入の手間が頭によぎっていただろう。

手術を受けた後悔は一切ない。
後悔するようなことが起きる頃には、それを解決する新たな手術が開発されてると信じて。


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