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「ピーちゃんのおばさん」と編み物の話

長女の誕生日に「あみゅあみゅ」なるおもちゃを買った。
毛糸をかけてくるくるハンドルを回せば編み物ができる、まあ平たく言えば大きな手回しリリアンである。

アマゾンなどのレビューではかなりの酷評だったのでちょっと怖かったのだが、慣れてくれば目飛びも(あまり)なく、4歳児でもちょっと手伝えばマフラーを作れたから最近のおもちゃはすごい。
説明書によると、頑張れば手袋とか耳あてなんかも作れるらしい。

編み物に一生懸命になっている長女を見て、ふと思い出した人物がいる。
それが「ピーちゃんのおばさん」だ。

「ピーちゃんのおばさん」とは、祖父の親友の結婚相手のことである。
ピーちゃんという小鳥を飼っていて、だから私は「ピーちゃんのおばさん」と呼んでいたが、実のところ私はその「ピーちゃん」に会ったことはない。
ただ「電話や人のおしゃべりを真似る」と言っていたから、まあなんかそんな感じの賢い小鳥なのだと思う。多分。

ピーちゃんのおばさんは、突然家にやってきた。
多分私が小学校中学年くらいの頃だったと思う。

大人たちの話すところを漏れ聞いた当時の記憶によると、どうやら夫と喧嘩し自殺をほのめかして家を飛び出したところを警察に保護され、それで何かがどうにかなって家に来たらしかった。

今考えると「なんでそれで『夫の友人の家』に転がり込んで来るんだ」と思うが、他に頼るところがなかったのかもしれない。

そう、忌憚なく言ってしまうならば「ピーちゃんのおばさん」は「変な人」だった。

甲高い声で絶え間なく喋り、暗いところを異様なまでに怖がり、常に誰かと一緒にいたがっていた。
少女の、いや子供のようだったといえば分かりやすいかもしれない。

なんでかよくわからないが私と同じ部屋で寝ることとなり、ずっと電気をつけたまま寝たいと言われてちょっと閉口したことを覚えている。私は暗闇で寝たい派だからだ。

ただ代わりに料理と編み物がとても上手だった。
正直なところ私の家族はみなあまり料理がうまい方ではなかったから、彼女の作ってくれるご飯はとても嬉しかった。
何も編み図を見ずにひょいっと編んでくれたぬいぐるみ用の帽子は、大事にかぶせておいたつもりが気がついたらなくなってしまっていたが。

ピーちゃんのおばさんは手持ち無沙汰だったのか、菜箸と私の余り毛糸で編み物をしていた。
だから100均で編み棒と編み針、それから毛糸を買ってプレゼントしたら、お礼に編み物を教えてくれたのだ。

棒針編みとかぎ編み、それぞれ基本の「き」ぐらいだったが、マフラーを作ったりコースターを作ったりするにはそれで十分だった。
2本の棒を使って編む、まさに「編み物」に興奮した私は、やたらに平たい謎の創作物を量産した。

「もっとできるようになったら、セーターなんかの模様の編み方も教えてあげるね」
と彼女は言っていた。

だが結局、その約束は果たされなかった。

「ピーちゃんのおばさん」がいることが当たり前になってきたころ、だから2週間だか1ヶ月だかが経った頃だと思うが、彼女の夫(息子だったかもしれない。この辺は曖昧だ)が迎えに来たのだ。

そしてそれ以降、私は彼女に会っていない。

一度だけ、「『ピーちゃんのおばさん』はどうしたの?」と聞いたが、「離婚したよ」と親に言われ、それっきりである。

ただそれだけの話なのだが、編み物をするたびに私は彼女のことを思い出す。
当時何歳だったのか知らないが、存命であればかなりの高齢のはずだ。

あれから少し手芸本なども読んだりしたから、教えてもらったときよりも編み物は少しだけ上達した。
でもまだ、私はセーターを作れない。

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