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ニライカナイ

先週の金曜日から日曜日まで沖縄に行っていたのだがもう10月は中頃というのに日中は30度を超える日もあり、少し日差しが和らいだ夏という印象だった。2年前の今頃にも結婚式のため恩納村に来ていたのにも関わらず、そう言った気候のことなどは全く覚えていなかったので人間の記憶というものは相も変わらずいい加減ということを思わされる。

朝8時台の飛行機に乗り10時過ぎには那覇空港に着いていた。関空を発ってから気が付くと雲の切れ間に薄い起伏のない南の島々が見え始めている。何か本を読んだり話したりしているうちに着いてしまう…その速さにいつも不思議な感覚になる。飛行機の小さな窓から見えるそれは強いコントラストに溢れていて、まだまだ夏が寝そべってゆっくりしているそんな様子であった。

レンタカーを借りて、おきなわワールドやネオパークオキナワなど以前行きそびれたところを回るという目的で南北を毎日行ったり来たりしていたがどんなところよりも強く印象に残ったのは他でもない海であった。沖縄の小高い場所に行けば障害物がない限り海が小さく見えたりするほど身近で、僕らが泊まった糸満のホテルは目の前に海、この先を行けば台湾や中国に行きつくのだがその姿は見えず、ただただ水平線が横一線に青く引かれ波が穏やかに揺れていた。

地球は平面だと思うのも無理はないと思えるほどにどこまでも真っすぐで空と海の境目を目で探しながらずっと眺めていた。沖縄で海の彼方にある理想郷を「ニライカナイ」と言う。自然の恩恵を与えてくれる神の島でありあの世でもあるというその場所は、ゆったりと海の先を見ているとその深い青の中に本当にあるのではないかと思わされる。そう、その光景が忘れられないでいる。

旅は過ごしているうちは時間の経過は遅いが振り返れば早く、僕はその海の向こうの我が家に帰り昨日から旅の疲れを抱いたまま仕事をしている。僕のニライカナイは中々現実的であるしコーヒーの香りとマウスをクリックする音が小気味良く鳴る場所だ。一見すると沖縄の美しい自然が楽園で毎日が灰色の暗い時間と思うかもしれないが、案外その毎日が慣れているからか良かったりする。どちらも良いとこも辛いところもあるが、そう思うのは他でもない自分、とらえ方の問題である。もしかするとニライカナイは海の向こうではなく心の中にあるのかもしれない。自分の心があの水平線のように穏やかであれば、どこへ行こうとその理想郷になるのでは…そう考えていると柔らかな波の音が聞こえて来て穏やかにやさしくなれそうである。

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