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ニケと歩けば soixante-quinze
今朝はすっきりとした秋晴れの空。丸い雲はいくつか重なりながら南西の海に向かって、流れています。
ひとしきり公園のグランドで遊んで、草むらでひと休みのニケは、風に顔を向けて気持ちよさそうです。
夏から秋への季節の切り替えはほぼ完了というところです。夜中に多少の雨を降らせた台風が幕引きしたようで気持ちのいい朝になりました。
知らぬ間に彼岸花が咲いています。
よく老人方が「早く死にたい。」「来年も孫の運動会は見れるだろうか?」と、いつか来るその日のことを漠然と話すことがあります。
今までは年をとるとそんなことばかり考えるようになるのかと人ごとのように聞いていました。
随分前ですが「人の寿命は平等。」というお話を奈良のお寺で聞いたことがあります。
みんなが100歳まで生きる平等ではなく、お金持ちも、賢い人も、苦労した人も、いつかはいなくなるということです。
般若心経の最後、「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 ,,,,」は、「さあ!みんなで一緒にあの世に逝こう」という意味らしいです。
お話を聞いた夜、夢を見ました。果てしもなく広くて遠い大地、空の暗さ。黒い人影がその果てに向かってもくもくと歩いています。その行く先にはあちこちに人がすっぽり落ちてしまう穴があって、どこにそれがあるかわかりません。目隠しされてるようで真っすぐにしか進めない。進んだ先にその穴があると落ちるだけ。上から見ると穴の位置が分かります。「そこに穴がありますよ!」と知らせたくても声が出ない。すとんと音もなく入ってしまえばその人の最後。美人も、健康な人も、人のために尽くした人も、成功した人も。それが平等。前に進むしかない人生の何とも言えない切なさと運命を見たようでした。
彼岸花を見るたびその光景を思い出します。ニケは草のクッションが気に入ったらしく促す私に無言で抵抗します。
今まではあまり気にならなかった彼岸花の赤が今朝はやけに目に入ります。