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気持ちだけは元旦

ちいさな頃なら元旦の朝は特別でした。
我が家は除夜の鐘を聞くと仏壇にお雑煮と日本酒、お節料理を取り分けた小皿などを並べて家族で静かにお祝いすると就寝。

次の日は早くから祖母や母、叔母たちの台所でお祝いの準備をする様子が二階の部屋まで聞こえてきました。それは厳かの中にいつもとは違う雰囲気が伝わってきました。湯気の立つ鍋やトントンとリズミカルに雑煮の材料を切る音、卵を溶く弧気味のいい音で、忙しい中にも心が晴れやかな母たちの姿が想像できて勇んで降りて行ったものです。

ここ何年も大晦日はひっそりと…。年明けには子供たちが賑やかにやってきて2,3泊して帰っていくというパターンが続きましたが、今年は暮れからの里帰り。

5人が急に増えると師走の忙しさにプラスして買い物の量も増えゆっくりどころではありません。

今まで好き勝手、気ままに暮らしているところへの襲来!は嬉しくもあり少々…。
でもインターフォンからニコニコした顔が次々にのぞき込んできてその声を聞くと小走りで玄関に向かいます。

日頃はますます簡素化してきた料理もお正月にはみんなの好物のオンパレードとなります。
ヤッパリ「美味しい!」の一言は何時間もかかって準備した食材が瞬く間の命であっても嬉しいものです。

この言葉が聞きたくて母親は料理を作るのかもしれません。
年々背が伸びた孫たちは今年はさらに…。

お酒好きの大人たちは冷蔵庫に入りきらないくらいのビール、焼酎など旅行した時に見つけただの、スーパーで試飲して美味しかったよと新しい味の発見のにぎやかな食卓になっています。

ニケは玄関から雪崩のようなパワーに毎回圧倒されて何とも複雑な顔をしていますが、毎朝の散歩は4人を引き連れて?となり、二日目にはいつも止められるもう少し先までの公園も連れて行ってもらえるので、笑顔のご帰還となります。

新の年を迎えることは毎回気持ちのいいものです。

毎年同じように見えてもやはりいろんなことが新しく、いままでの無くしたものやくぐもった気持ちもその日にはすっかり処分してこの思いが一日も長く続いたらいいのにと思うのは私だけでしょうか?

ゆっくりの散歩はすっかり明るくなった公園の大きな桜やクスノキを澄んだ空気と青い空が一層くっきりと際立たせていてよく見ると桜の花芽なのか葉芽なのか見分けのつかないふくらみを見つけることが出来ます。

元気に走り回る孫たちを母親のように戻ってくるまで待っているニケは小さなころのじゃれ合っていた仲間とは少し距離が出来たように慈悲のまなざしで見守っています。

いつまでも終わりそうにないかけっこを「さあおうちに帰ろ!」と呼んで三人と一頭は軽い足取りで坂を上がっていきました。

今日もいい日にしましょう!
今年もよろしくお願いします。






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