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思い出のせせらぎロード

彼が、幼少期の思い出の場所に連れて行ってくれた。せせらぎロードという、錦鯉が泳ぐ小さな川だ。なんなら、川と言うより用水路と言った方が近いかもしれない。そんな細い川に美しい鯉がたくさん泳いでいた。そこは彼にとって懐かしい場所で、前々からそこへ行きたいと話していた。

私にとっては初めて行く場所なので「綺麗だな〜」くらいのものだったが、20年以上振りにこの光景を目にした彼はとても感動しただろう。
子供の頃の思い出の場所は、大人になってから行くと、狭く小さくなったように感じるものだ。大体の場所がそうだと思う。


とても嬉しかったんじゃないかな。1袋10円の鯉の餌を、100円分以上買っていたのだから。
人の気配がすると寄っていくのであろう鯉に対し、懐いてるよ!と喜ぶ彼が本当に子供のようだった。私にとってその瞬間は、微笑ましさより切なさの方が強く残った。この瞬間と、彼自身の大切な過去の思い出が尊いと思った。
鯉の優雅さや美しさもちゃんと覚えているよ。でもそれと同じくらいに、誰にでも心当たりがあるようなノスタルジーというか。上手く言語化できないけれど、戻れないんだな…という痛みみたいなものが刻まれた。

生きていく程に美しい思い出は増え、傷も増え、年々「これ以上は耐えられないな」と思う。平均的な寿命を迎えるとすればあと50年少し、耐え続けることができるのだろうか。
喜びや悲しみ、懐かしさや後悔、それらに負けずに。支えられながら押し殺しながら、限られた時間のなかで可能な限り「大切だよ」と伝えていかなければいけないね。
そんな気持ちが、より一層深まった時間だった。