11/25 『あちらにいる鬼』『ザリガニの鳴くところ』視聴
『あちらにいる鬼』『ザリガニたちの鳴くところ』視聴。
『君の傷痕が知りたい』読書中
読了視聴メモを後回しにしすぎてもう何が何だかなので、今見たところから残していきます。
『あちらにいる鬼』
奥山景布子『やわ肌くらべ』を思い出した。こちらは与謝野晶子の話。夫の与謝野鉄幹の女性関係に大いに悩まされていた。
『あちらにいる鬼』は瀬戸内寂聴をモデルにした話だ。彼女も妻子ある男性作家、井上光晴の女性関係に悩んでいた。
瀬戸内寂聴の情の濃さが与謝野晶子に似ているように思った。
映画を見て、作家さんのインタビュー記事を読み、「同じ男を愛した、どこか同志のような感覚」というのになぜか説得力があるきがした。
井上光晴の妻を広末涼子が演じている。私は昔からずっと彼女のファンなのだけれど、演技がめちゃくちゃ良くて。それだけでも見てよかった!
妻が夫の愛人の見舞いに病院を訪ねるシーンがある。
「二度も子供を下ろしたのだ、一度目下ろした時に今度できたら産んでくれと言われた」と愛人から言われて、妻は「ごめんなさいね」と返す。
愛人はその態度を傲慢だと詰った。妻は自分の傷つきを受け止めて、なお相手の傷つきに思いを重ねたんだと私は思った。これは同情だろう。
一方通行かもしれないが「同じ男を愛した、どこか同志のような感覚」が妻の側にあったのではないかと感じるのだ。この相手となら同じ痛みを分かち合えるかのような思いが。わかってもらえるんじゃないかという期待が。
それは妻の余裕があるからこその甘えなのだろう。と思うと、傲慢だというのはその通りなんだろうな。でも、とても孤独だっただろうな。
その妻の期待が寂聴(作中ではみはる)との間では実現していた。
『ザリガニの鳴くところ』
こちらの原作は未読。
誰にも頼らない、借りは作らないと頑なに殻にこもる少女カイヤ。
彼女は5歳の時に家族が離散し、社会にも居場所がない。
二度と傷つかないように、人恋しい気持ちを抑圧して殻にこもってきた。
沼地で平然と一人で暮らしているようでありながらも、本当はものすごく人恋しくて仕方がなかったんだろうな。本人の意識では孤独な今の生活に満足しているつもりでも、本心は違った。
だから、一旦その殻が開いてしまった後は、相手がどんな人間かよく見極めることもせずに、しがみついてしまった。
違和感はきっと感じていたと思うのに、信じたい気持ちから気付かぬふりをした。もう孤独は嫌だから。二度とそんな思いをしたくないから。
最初に殻を開いた人にとても大切にしてもらった。頼ることはできなかったけれど、信頼できそうな大人をいくつか彼女は持っていた。
愛を受け取った経験が彼女にはあったんだな、と思った。
***
日記として内容に関わらずその日の書きたかったことをみーんなぶち込んできました。
タイトルも適当につけすぎてるし、全然必要のありそうなところにリーチしようとしてないね? と思う今日この頃。
せめて日記と読了は分けるべきかもなあ。(と言いつつ今回も雑多)