見出し画像

絶叫する高級モデルガン──ZX-25R、納車レビュー──

 環境規制というものは、ほとんど何時だって消費者と企業を落胆させる。

  近所の店で買っていた卵の値段を釣り上げ、大衆車から高性能モデルの存在を奪い去り、ヴィーガンが飲む為のオーガニックココナッツジュースを運ぶタンカーの耐用年数を短くしているそれは、欧州の政治屋が健全な活動をアピールする為のマスターベーションであり、今世界がそれに巻き込まれている以上の表現はしようがない。

  かの国の国民たちは吊り上がる物価と流入する移民のみならず、自ら選んだ男や女──あるいは欧州の定義する生物学上ではどちらとも言えぬヒゲの生えた女性──が座る議会のくだらない妄想劇に生活を圧迫されている。
自らだけでなく、周囲を巻き込んで首を絞めているもの、それが現状の厳しすぎる環境規制の実態である。

 では、真にあるべき環境規制とは何だろうか?
大したガスも排出していない自家用のガソリン車やバイクの触媒にプラチナを大量消費する事?それともニュージーランド中の羊の口をダクトテープで巻き、ゲップできないようにする事だろうか?
もしくは特に罪のない芸術作品に石油から生成されたペンキの類を掛け、主張が書かれたナイロン製のシャツを着て、プラスチックでできたiPhoneで「石油の使用から環境を守るための素晴らしい活動をした」と誇らしげに呟くとか、あるいは排ガスチェックの時だけECUのプログラムを替える悪質なアーリア人を強制収容所に閉じ込めてしまうのもいいかもしれない。

 しかし、全くもって素晴らしい試みとしか言えないこれらの「対策」において一つ言えるのは、それらをやった所で大き目の火山の"くしゃみ"一つが我々の出来うる節約など意味がなくなる程の温室効果ガスを排出するので、結局の所融け行く南極の氷の上で怯えるキングペンギンのヒナを、海面下でガチガチと牙を鳴らすヒョウアザラシから守るのは不可能という事だ。

 本来やるべきそれはディーゼルエンジンが排出するパティキュレートマターをきっちりと捕集、焼却し、光化学スモッグの発現をしっかりと防ぐ事。
あるいは産業用機械の排出する高毒性の科学物質の自然への流出を防ぎ、川を遡上してくるアユの類が死んだり、哀れな蛍が住処を失ったりしないようにする程度の事、そしてそれの延長線を外れないものであるべきだろう。

確かに、極端なまでの環境負担や公害が起こりうるものはきっちりと規制しないとダメだ。(誰だって、カドミウムを骨にため込みたくはないだろう。)
だが、慎ましやかなガスしか出さない原動機付自転車を、50ccの排気量では作れなくする程の規制をしないと地球の滅亡は免れないのか?
答えはNOだ。全くもって、バカバカしい事この上ない規制だと言える。

 大体、何をいまさら善人面をして地球環境を嘆く必要があるのだろう。
幼い頃、オゾン層を蝕むフロンガスを触媒として利用していたナショナル製の冷蔵庫で冷やされたカルピスを飲み、ガス臭いキャブレター車のダイハツ・ハイゼットが運んだトマトを齧り、今となっては絶滅危惧種の昆虫を無邪気に集め、放置して殺していた子供たちが大きくなり、急に環境に関心を向け、自分の生活を便利にしていた文明の利器にNoを突きつけるのが、それ程までに立派だろうか。私はそうは思わない。


 ともかくだ。
そういった排ガス規制の類は、何時だってバイクを…特に、若者やビギナーの入り口でありベテランの上がりの1台ともなる、小排気量のバイクの生産を邪魔し、多くの悦びとニープロテクターが売れる機会を奪ってきた。
特に、スポーツバイクに多かった2stのエンジンと、4st4気筒の250ccは規制の性質上、その煽りを特に強く受けた、と言っても過言ではないだろう。

 残念ながら、大多数の消費者はその事を大きくは気にしなかった。
彼らはスポーツバイクと比べてパワーが半分で車重が倍のアメリカンやビッグスクーターを買い、或いはキムタクの真似をしてTWの内臓を抜き取って死骸一歩手前の状態に改造したり、違法マフラーで腹痛をアピールしたり、イカ釣り漁船で街を"航海"する事に夢中だったからだ。

 結局の所、2stのレーサーのエンジンに集まる需要はメーカーが環境対応型のそれを考案する程のものではなく。また、規制に対応させたせいで高額化し馬力が低下したクォーターマルチを買うよりは、"コスパ"や優越感で優る400cc4気筒や1000cc4気筒を買う方が、賢い選択肢だとされたからだ。

  日本の公道からは、段々とクォーターマルチの叫び声が消えていった。
250以下のトルクしか出ていない直管のバカげたネイキッドが騒ぐ以外で、15000rpmという高回転数を捻りだす"愚かな選択肢"は、その僅かな生き残りを残して去り、残党が死に絶えたその時に完全に失われると思われていた。

  だが、”愚かな選択肢”を敢えて選ぶバカが一定以上居るのがバイク乗りという生き物で、そんな彼らの「無くなると欲しい」というバカげた欲求を見て、そこに商機を見出した正気とは言えない企業がそこにあった。
何でも加給して見ないと気が済まない事に定評にある、あの会社である。


一体何SAKIなんだ……

 
 ところで、数か月前の私は、またしてもバイクを探していた。
理由は単純明快である。所有していた2台目のバイク、DF200Eのエンジンが、どうやらお釈迦になってしまったようだったからだ。

 もともと、チェーンを飛ばしてクランクケースに小さな穴をあけてしまい、そこを塞いで使っているような状態だったのだが、会社の先輩とのツーリングの際割り込んできた軽自動車に殺されそうになり、驚いてスロットルを思いっきり開けて更け上がらせてて以降、酷い音がするようになった。

アイドリングだけでもカラカラと何らかの金属音がしている上、何だかパワーも出ず、おまけに少し煽っていないとエンストしかねない位粘りがない。
整備の練習、あるいは散歩用としてこのバイクを購入していたのだが、サスペンションも漏れ始めており、古いので部品も出ず、今回は兎も角次回の故障時に直せる保証はなかったのである。

 そんな物欲に対するゴチャゴチャとした言い訳を並べつつ、私は意気揚々とレッドバロンへ向かった。オフロードバイクであるDFも楽しかったが、メインバイクのVstromで行けない場所には一人ではいかないという事に気付いて以降、別にオフロードではなくてもいいか、という気がしており、この時は軽量で振り回せるオンロードスポーツが欲しい気分であった。

 大本命は、スズキ・ジグサーSF250だった。軽くて振り回せる車重にしっかりとしたラジアルタイヤ。単気筒というのも中々面白みがあるし、ボーナスで買えてしまいそうな位安いし、なによりスズキだった。(私はスズキ車が好きだ。ハンドリングやブレーキが凄く好みだし、すごく安いから。)

 そしていざ、ジグサーの軽さ確認、とばかりにフルカウルの中型バイクがおいてあるコーナーに足を運び、物色している中で20万円引きになったZX-25Rの未使用車を見つけた事が、すべての始まりである。

  25Rのスペックについては、改めて文字数を掛けて説明する必要はないと思う。それ程までに人気のあるバイクだし、人気がある理由も今となってはよくわかる。しかし、登録費用込み84万円(!)という値段だけを見て、当時のまるで私はセールスの電話を冷たく断る私の母親のような反応をとった。

  84万円という値段は、恐らくSV650が新車で買える程度の金額。
そしてこれは20万円の値下げ後であり、本来100万を超えるという事だ。
冷やかし程度に跨って、良い色だなぁ、質感も良いなと感心し──まぁでも高すぎるし買う事はないな、と結論付けて一旦店を後にしたのだが、帰路に就く為にヘルメットを被った瞬間、ふと、疑問が生じる事となる。

「……100万円の250か。一回、乗ってみたいな、試乗でいいから。」

 偶然、15㎞ほど先にカワサキプラザがあるのは知っていた。エンジン位、掛けさせてくれるかもしれない。そう思って向かった先の店でお試し用の短時間レンタルを行っている事を知り、少しだけ貸してもらう事に決めた。


その時にお借りしたZX-25R。
こいつのせいで他の選択肢が見えなくなった。ありがとよ畜生!!

 気が付けば、その日の夕方には契約書にサインを書く事になっていた。
紺色の方が好みだったので、レッドバロンに舞い戻っての購入である。
たった1時間半の試乗で、値段の事はすっかり頭から抜け落ちてしまった。
それ程までに、私はこのバイクに魅了され、欲しくなってしまっていた。


 まず、このバイクの魅力は、何と言っても「音」だ。
この結論は譲れない。15000を超えてなお回る、超高回転域の絶叫とも言えるエンジンの咆哮は、環境活動家を苦しめる警察の超音波発生装置のような破壊力で乗り手の鼓膜を破壊し、理性を揺るがし、得難い快感を植え付けて依存させる、搭乗する形の麻薬と言って差し支えない魔力がある。
クォオオオオオン!!と甲高い排気音とその興奮を掻き立てる鋭い吸気音の組み合わせは、鬼に金棒、或いは美女にセクシーなランジェリーと言った所で、バイクという乗り物に魅了されたバカな男なら、皆恍惚とするだろう。

 スロットルを開けて1速で発進。思ったよりトルクあるな…?とタコメータを見ると4000回転より下には数字が書かれておらず、ははぁ、トルクの無さを回転数で誤魔化してんな?と勘付くがこれは実際その通りである。
1速で引っ張っても、音の勇ましさや湧き出る高揚感ばかりが先をゆく。15000まで回して尚40km/h出ているかが微妙な程のローギヤードっぷり。

 しかし、音に導かれるままに2速、3速と回していくと……なんか速い、気がする!クイックシフターが良い仕事をしている。カチッ、カチッとしっかり入って変速も爆速、やってやる感満載で雰囲気は抜群だが…やっぱり、速いなと錯覚させる一番は、劈くようなエンジンの快音だ。
0-100加速なら2気筒で低速トルクが出ているCBR250RRの方が上だろう。
でもそんな事を忘れて歯をむき出しにして「ギヘヘ!」と笑ってしまう4気筒エンジンの高揚感!もうこれだけで、値段の元を取った気がしてくる。

 しかも素晴らしい事に、このバイクは車体の出来も非常に良い。
適度にしなりつつ、剛性不足感のないフレームはコーナリング時に此方の意をくみ取るかのように従順なハンドリングを実現し、タイトなコーナーに飛び込む時だって何も怖がる必要などない。
ブレーキもよく効く。シングルディスクとはいえ、ラジアルマウント4PODキャリパーは握るにつれてしっかりと効き、一切不足を感じさせない。
極めつけに、大型バイク並みのφで奢られた倒立式のフロントフォークは、やはり大型バイクに採用実績が多々あるSHOWAのSFF-BPである。
コーナーの途中で嫌なギャップを踏んだりしても、不用意に跳ねて肝を冷やす事はなく、サスペンションがスッ、と衝撃を往なしつつ路面の状況を正確にライダーに伝えてくれる。25Rとなら、一瞬でツーカーの仲になれる。

 例えるなら、重厚な金属で作られた発砲音の鳴る高級なモデルガンのようなバイクだ。コーラの缶を貫く事は出来ないが、スライドを引いたり薬莢を弄んだりマガジンを無意味に交換したり。「実践できる喜び」が詰まっている。いい意味で、「オモチャ」なのだ。ダメな大人の良い友として、どこまでも寄り添ってくれる。ZX-25Rはそんなバイクなのだ。

 どこまでも気持ちいいエンジンと、その回転と喜びを決して邪魔する事のない、自由で懐の深いハンドリングを実現した車体。250㏄というクラスを逸脱した足回りやトラクションコントロールまで兼ね備えた電子装備も合わせており、構成する部品も極端に安っぽい部分は皆無。
4発でありながらリッター辺り20km以上走り、しかもレギュラーガソリン対応なので、燃費も良くはないが及第点と、とにかく欠点らしい欠点なんて、値段と使わせる気がないとしか思えないシート下のUSBソケットの位置位しか思いつかないくらい、心底良くできたバイクだ。

惚れ込んで買ったこの色。
希少色らしくあんまり見ないがいい色だと思っている。

 勿論、本当に速く走ろうと思ったら、値段を3倍出せば買えるZX-10RのようなリッターSS、所謂「本物」には到底敵わない。敵う訳もない。
しかし25Rであれば、10Rが1速でも免許取り消しになれる区間で、合法的に回転数を引っ張りまくってその超高回転サウンドを楽しむ事が出来る。

 速く走る為?否。速く走っている気持ちになって楽しく走る為!
カチ回して遊ぶ。そんな、愚か者しか選ばない選択肢。
今は25Rを除いて滅びた文化。嗚呼、これがクォーターマルチなのだ…!
免許を取って以降2気筒以下ばかりを乗り継いで来た私には、衝撃だった。

  そんなクォーターマルチの灯だが、いずれ消え行くものだと思っている。
この次か、あるいはその次か、そのまた次か。いつか、この排気量と利益率を守ったまま排ガス規制に対応できる4気筒が実現しない日が訪れる。
電子制御スロットルを奢られ、高級な足回りを履き、開発者の熱意と愛に育まれて生まれて来た美しきこの「高級オモチャ」は、いつか公道でその美声を響かせる事が出来ないようになってしまう。金属製のモデルガンが規制されたように、何時かはわからぬ将来に、手に入らなくなってしまうのだ。

 そんな日が来た時に、「バカなバイクだったな」と思い出して笑う為に。
そして「最高だった」とすがすがしい顔で、その音を思い出せるように。

 消えゆく定めの最期の灯は、まだ煌々と輝いているぞ、と。そう叫ぶように4気筒サウンドをいっぱい響かせて、スピードは控えめに走って行きたい。


いいなと思ったら応援しよう!