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【受験生世代へ】「学閥の力」ってあるよ

受験生のとき思うこと。
「大学なんてどこに行っても同じ。大学4年間をどう過ごすかが大切」
それはそのとおり。
でもね。
“学歴フィルター”は100%あるし、“学閥”も100%ある。
それはまだ高校生以下の人でも体感していないだけで「あるんだろうなあ」と思ってるはず。

ここでは“学閥”の方面で書きます。

僕は東京で働いています。
ちょっと特殊な職業ですが、「大学どこ?」って聞かれます。
「大学どこ?」って聞く人は、自分の大学に自信やプライドがある人が多いのです。ちょっと要注意です。
そして僕は、無名の大学出身です。
無名大学の名前を言ったら、
「そうなんだ」
と“期待外れ”みたいな感じになります。
バカにしているのかどうかはわかりませんが、「おおぅ……」という感じになります。
話は弾まないです。

そう、「話が弾まない」

同じ大学なら「仲間」に入れる。
違う大学なら「ライバル」になれる。
早慶戦ができない。
そんなにガチでいがみ合うことはないですが、話は弾みます。
いや、いがみあう場合もあるか。

そんな感じでワチャワチャできるのです。

でも僕は、そのワチャワチャに入れない。
仲間にも、ライバルにも、なれない。

マスコミ関係はやっぱり早慶は多いし、話が盛り上がる。
日大は「東京は、しょせん“東京”の大学。俺らは“日本”を背負っている」と体育会系むんむんグループもいます。
「じゃあ、亜細亜の方が大きいですね」
というとボコられるので要注意です。

でね。

学閥は、大学だけじゃない。

小学校、中学校も学閥。
別にお受験して、私立有名校にいったら「学閥」が発生するわけじゃない。あなたが行っている(いた)小中学校も、学閥です。
ヤンキー漫画でよくある「お前、何中だよ?」も、学閥です。

僕が高校の時、あまりにも苦しくて、中学校の卒業アルバム見てた。
中学が楽しかったかどうかと問われれば普通なんだけど、高校があまりにも苦しすぎて、現実逃避してた。

中学時代の「学閥」に戻りたいと思っていた。
僕は地元の高校に行かなかったけど、地元の高校という「学閥」に入りたいと思っていた。
それぐらい、苦しかった。

高校卒業してなんやらしていて、なんちゃって社会人になっても「学閥」を“振り返って”いた。
あるとき、あれほど大切にしていた卒業アルバムがなくなっていることに気づいた。引越しのときも丁寧にしまっていたのに。
実家に持って帰ったのかと思ったけど、どこにもなかった。

ものすごい喪失感。
卒アルを見られなくなると、中学の記憶が薄くなる。
高校の卒アルもその時なくしてしまったから、高校の記憶も薄くなる。
中学は8クラスあって、全員の顔と名前を覚えていた。
今は5人も思い出せない。

でもね、そこをよすがにしている。
それは僕には“地元”がないからだろう。

生れ育ったマチだけど、その家から大学生のときに実家は引っ越し、住んでいた借家も取り壊された。マチ並みも変わった。Googleマップで、家があった場所から小学校まで通学しようとするが、たどり着けない。30年以上たった。マチも変わった。Googleマップでは感じられることができない空気感で、思い出すファクターを感じられないこともあるだろう。
でも最大要因は、僕はそこにずっといない。

僕は、ヨソ者なのだ。

高校にしてもそうだ。最寄り駅から高校までの道のりをGoogleマップでたどる。大学も、下宿先から大学までGoogleマップでたどる。記憶にある場所がほとんどない。

でもある日、高校の同期が有名なテレビディレクターになってると知った。後輩がアナウンサーになってると知った。中学の後輩が、アイドルになっているらしい。

それに僕は親近感を覚えている。
向こうはそのことに迷惑とさえ思っていない。僕の存在なんて、思い出さないからだ。
アイドルの人にとっては赤の他人。みんな、Googleマップの僕の記憶より、薄い僕の存在。
だけど僕は、その同級生が高校だったころをくっきりと思い出す。
頑張ってる姿を見て、頑張ろうと思う。

これが良いことか、みじめなことかわからない。
僕は縛られている。
これが、学閥だ。
僕は、すごいと思っている。

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