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陸軍中野学校教師の孫からみた陸軍中野学校 その1
母方の祖父は私が少年であったころに亡くなった。
遠くの地に居たため、ほとんど話したこともなく、顔もあまり覚えていない。
いくつか手元にある写真が祖父との少ない繋がりだ。
最近まで母からは「父は全く喋らなかったし、こどもに興味がなかったのね」と聞かされていて、祖父はどんな気持ちで老後を送っていたのだろうと疑問に思っていた。
また仕事は中国語の教師をしていて「敗戦後はスパイと間違われたのよ」とも聞いていて、ああ、そんなこともあるのだなぁと、心に留めていた。
祖父に愛されなかったことを根に持っていた母から祖父は「陸軍中野学校」の教師だったと聞かされたのはずいぶん後になってからのことだった。
「陸軍中野学校」がどんなことをしていたのか、そこでどんな教育をおこなっていたのか全くといっていいほど知らず、かろうじて第二次世界大戦時の兵隊の学校であることだけは理解していた。
世の中のウソを追い求めている中で、どうしても避けられないのが第二次世界大戦の敗戦という事実と、その後の占領政策、そして現在の支配体制だった。
その流れの中で「陸軍中野学校」がどのような存在で、祖父がどの様に関わったのか知りたくなったのは必然だったとしか言いようがない。
いくつかの文献を図書館で借りることにして、足りない部分はネットを活用した。
そうして導き出された「陸軍中野学校の孫からみた陸軍中野学校」をここに記しておきたい。
つづく