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その時間は罪ですか?〈フリー朗読台本〉


規約

この作品はフリー台本として公開していますが、著作権は放棄していません。
著作権は作者である二条寧音にあります。
自作発言・二次配布・内容の改変は禁止です。 
上記を守って頂ければ、使用の連絡や許可は不要です。
規約は予告無く変更する事があります。

情報

〈概要〉
女性一人称。モノローグメインでセリフは少し。
〈読み手の性別〉
不問
〈本文の文字数〉
2757文字 
〈時間の目安〉
8分

本文

突然、離れて住む姉が訪ねてきた。
聞けば、昨夜の姉との電話で私の様子がおかしいと思い、急遽こっちに来たとのこと。
私はその意味が分からず、正直困った。
今は赤ん坊の世話で手一杯で、とても姉の相手をしている余裕がない。
けれど昨夜の電話は、こっちから急に掛けてしまっていた手前、追い返すわけにもいかない。
困惑していると、姉はソッと私の頬に手を添える。
姉の見透かすような瞳に、真っ直ぐに見つめられドキリとした。

「もう大丈夫だから」

姉のそのひと言に、気づけば私の目からは涙がとめどなく溢れだしていた。
今思えばこの時の私は、軽い育児ノイローゼになっていたのだろう。
初めての子供だった。
愛おしく、守らなければならない存在。
少しも気を緩められない。
夫は仕事で朝が早く、夜も遅い。
実家も離れており、現在産休中で職場以外に親しい知り合いが居ない私は孤独に陥っていた。
そんな中で昨日から夫は、出張で留守にしている。
衝動的に私は姉に電話を掛けていた。
無意識なSOS。
それに姉は気づいてくれたのだ。
幼い頃はよく頼っていた存在だった。
だけど今は姉も共働きで小学生になる子供を持ち、お互いに忙しくしていて、最近はもうずっと会えていなかった。
それが昨夜の急な私の電話から異変を察し、急遽訪ねてくれたのだろう。

「子供は散歩がてらに私が連れ出すから、家で休むなり外出して気分転換するなりしなさい」

その言葉に甘えることにした。
姉が子供と共に家を出た途端、私は何も考えずにパタリと、そのまま寝入ってしまった。
こんな事は子供が生まれてから初めてだったかもしれない。
すっかり熟睡してしまい慌てて起きるが、まだ姉と子供は帰っていない。
自分はこんなに疲れていたのかと、改めて実感する。
スマホの通知に気づき、手に取る。
姉からラインで5時には帰宅するとの連絡があった。
ついでに今夜の夕食も買ってくるという姉の気遣いに、私は自然と笑う。
そういえば、こんな風に笑ったのも久しぶり
だった。
5時まで、まだ2時間あった。
スマホの画面をラインから音楽配信に切り替える。
久しぶりに自分のお気に入りの曲を流しながら、コーヒーを淹れる準備をする為に寝起きで気怠い体を動かした。
私の今の配信履歴には赤ちゃんの為の曲ばかり。
それを不満に思ったことはないし、そもそもそれが普通の事だと思っていた。
子供の為に尽くす日々は充実していたし、確かに嬉しい時間だったのだ。
けれどそれだけにのめり込みすぎた結果、知らぬ間に精神のバランスが崩れてしまっていたのだろう。
子供の為の中にも、たまに自分の好きなものがあっても良い。
淹れ立てのコーヒーの匂いにホッとしながら、やっとそれに気づいた。

子供と帰宅した姉は、明日の夜まで夫が帰らないと知ると、泊まっていいかと聞き、私はそれに何度も頷いていた。
その晩は遅くまで姉とたくさん話し、そうしてまた気づいたことがある。
私はこんなにも話し相手に飢えていたのだと。
夫も仕事で多忙にしており、今はあまり会話らしい会話がなかった。
まだ喋れない子供と二人っきりだと、母親とはこんなにも孤独なのだ。

「私はお姉ちゃんの助けになれなかったね」

こんな事を今さら言っても姉を困らせてしまうだろうに、ついそんな言葉を漏らしていた。

「私はシッターさんに頼んだり、旦那の両親に上手いこと言って何とかやってたからね」

シッター?
初耳だ。
姉は苦笑する。
他人に子供を任せる事に世間は拒絶感凄いから、シッターの件は旦那しか知らないし、他には誰にも言ってなかったからと言う姉。
たぶん私だけでなく、母にも伝えてないのだろう。
何となくそう感じた。
私も今のような状態でなかったら、反射で姉を非難していたかもしれない。
そんな自分が本当に嫌になる。
シッターだけでなく、たまに家事代行も頼んでいたらしい。

「家の事や子供の世話を母親しかしちゃいけないなんて、苦しいだけでしょ?」

私は頷いた。
大変な時には誰かに頼る。
どうしてこんな簡単な事に、気づかなかったのだろう。
全部自分で背負い込まないといけない、勝手にそう思い込んでいた。
近くに頼れる人もいないから、誰にも相談できないと。
母親になれば周囲の誰もが当たり前のように【母親】に幻想を見る。
母親も1人の人間なのだと忘れてしまう。
それは母親当人ですらそうなのだ。
ずっと誰かに寄りかかるのも問題だが、全部を独りで抱え込むのもやはり問題なのだ。

「これ、あげる」

姉からメモを手渡される。
そこにはいくつかの住所と電話番号が記されていた。
姉は子供を連れて、この近くのシッターや家事代行に相談に行ってくれていたと言う。
私がシッターの話題に拒否感を示すようなら、このメモは持ち帰るつもりだったとも。

「別に少しの時間、誰かに任せてみるのも良いんじゃない? 」

姉はそう言って、優しく微笑んだ。

あれから数日が経った。
姉から貰ったメモは、まだそのままになっていた。
頭では分かってるし、今は気持ちの上でも必要だと思っている。
けれどずっと長く凝り固まっていたものを排除できず、いまだに行動に移せていない。
子供を寝かしつけると、つけっぱなしになっていたテレビを消すために、一度リビングに向かう。
消そうとテーブルのリモコンを持ったところで、ピタリと動きが止まった。
画面の向こうでは、ちょうど子育てについて語られていた。
子供用のハーネスが話題になっている。
今はまだうちの子には関係ないけど、もう少し大きくなったら、あっちこっち歩き回る様子が容易に想像できた。
以前までの私なら、紐で子供を繫ぐイメージに抵抗感が強かっただろう。
でもそれは事故防止の為であり、我が子の安全を守るもの。
今は不思議とそう思えた。
この番組では、わざわざ反対か賛成かのアンケートを取ったらしい。
アンケートの反対派からは、我が子をペット扱いしているとか、子供の心を蔑ろにしているとか、母親がしっかり見ていれば問題ないなど、母親の心を無視した声が飛びかっていた。
私もつい最近までなら、この反対派と同じことを言っていただろう。
姉がシッターについて誰にも話さなかったのが、今は痛いほど分かる。
夫が今朝テーブルに開きっぱなしにしたままの新聞。
ちょうど開いていた紙面のニュース記事が目に入る。
子供の転落事故。
子供が寝入ってる隙に母親が離れた場所で用事をしていた、ほんの僅かな時間におきた悲しい出来事。
目を離した事を悔やんでいると、母親のコメントが無機質に綴られていた。
新聞をたたみ、テレビも消す。
しばらく部屋には、静寂が包まれた。
なんの責任も取らない周囲の目や、くだらないプライドを気にして、いまだに足踏みしている自分。
そんなものに、なんの価値もないのに。
子供が起きたのか、ぐずる声が聞こえた。
急いで我が子のもとへ向かう。
もうこの胸に、迷いはない。

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