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NIJO -Jewelryブランドを立ち上げるまで-


こんにちは。NIJOのデザインをしているShunsukeです。
今現在、Jewelryブランドを立ち上げるため、日々構想に時間を費やしては打ち砕かれる日々を乗り越えています。Jewelryブランドを立ち上げる経緯について話していきます。


パートナーは ”父親”

NIJOのJewelryを製作しているクラフトマンは父親です。人生の中でビジネスパートナーが父親になることもあるんです。

街のアーケードにある名の知れた宝石店の職人として働いていました。しかし経営難により給料も未払いの状態が続き、生活のためにやむを得ず転職しJewelryとは関係のない職種に就職しました。

忘れられない金属の音

NIJOのアトリエは実家の2階の子ども部屋の横に”2畳”分のスペースでひっそりとありました。
私が小さい頃から、その小さいアトリエで作業をする父の姿がありました。
周りから見ると、普通の家ですが、私の部屋の隣には秘密基地があったのです。
父は夜行性で夕暮れから夜中まで、アトリエに篭り作業をしていました。
寝ようとベットに横になると、隣の部屋から『カン、カン』と甲高い金属音が聞こえる日々でした。

冒頭に戻りますが、父は指輪やピアスなど製作から離れる期間がありました。そう、隣の部屋からはあの金属音が聞こえなくなったのです。
私は大人になり、仕事も始まりました。お金を稼ぐことがどれだけ大変なのか、やりがいはあるのか。経験してみないとわからないことが、たくさん感じることができる日々を送っています。仕事から帰ってくると、静かな生活音しかしません。

小さい頃何気なく聞いていた甲高い金属音が聞こえなくなったことを、寂しく思うようになったのです。

私は、父に言いました。
「何か、新しいものを作ってみない?」
これは寂しく感じていた気持ちを頑張って言語化したものでした。
イメージがないと作れない、何かブランドとして作らないか。と話が進みました。
アトリエが2畳分しかない、

NIJO』はどうか。
その時に、父と私はかたい握手を結びました。
クラフトマンとして父親が、デザインやPRなどを息子である私が行うように決意しました。


そうして生まれたJewelryブランドが

NIJO

です。これは父親の人生において最大のチャレンジでもあります。
父の技術をJewelryを通して知ってもらいたいと思っています。

最後まで読んでくださりありがとうございます。
興味を持っていただいてくれた方々、今後のNIJOや指輪を作ることなどについて発信をしていく予定です。フォローをよろしくお願い致します。





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