BLと自己投影と夢と二次オリ

この記事では「夢」に関する話をしたい。
寝ている間に見る夢の話ではなく、一般に「原作キャラ×オリキャラ」と認識されている二次創作の話だ。「夢小説」と呼ばれることが多いが、小説以外も増えてきたのでここでは「夢」と称する。
以下の文章では「夢」という単語が頻繁に出てくるが、これは全て「夢創作」の話だ。寝て見る夢の話は一切混ざっていない。「BL」に対して「夢創作」だと、なんだか夢を特別扱いしているようで気が引けるので「夢」と称することにした。

なお、二次創作も夢も知らない人はこの記事のターゲット層ではないので、その辺りの最低限の知識を持っているという前提で話を進める。


1. 「自己投影は夢でやれ」


最近では少なくなってきたが、根強い夢アンチがいないわけではない。
実際には夢アンチではなく「自己投影アンチ」だったり「キャラ崩壊アンチ」だったりすることもあるが、それは置いておく。

問題はその人達が別の創作者に言う「夢でやれ」という言葉だ。
これもまた表題とは違い、実際にはBLだけでなく色々な界隈で言われるわけだが、話を簡潔にするためBLと記した。
そこは別に男女カプだろうが主受けだろうがなんでもいい。好きに読み替えてもらって構わない。

1つ目の主張は順当に、この言葉は的外れだということだ。
なぜなら夢は「名前変換できるオリキャラ(夢主)のいる二次創作」でしかないからだ。
確かに夢主に自己投影する人もいる。だがしない人もいる。
BLも同じだ。自己投影をする人もしない人もいる。
「原作に出てくる男キャラ同士の恋愛に関する二次創作」がBLで、「名前変換できるオリキャラ(夢主)のいる二次創作」が夢。自己投影は全く関係ない。
自己投影をする/しないと、夢/BLはまったく別の問題だ。

「(自己投影をするためにキャラの個性を歪めるなら、原作で個性の確立しているキャラを使う)BLじゃなく(自分のアバターを1から作れる)夢でやれ」という主張は分からないでもない。キャラ崩壊を見たくないというのが主張の本質だからだ。

しかし「(自己投影は)夢でやれ」は話が通らない。
「自己投影ならば夢」でもないし「夢ならば自己投影」でもないのだから、「片方のキャラに自己投影したBL」の受け皿は夢には存在しない。その人はあくまで原作キャラの来歴、境遇、見た目などに自己投影したいのであって、そっくり同じだろうとなんだろうとオリキャラに自己投影したいのではない。

この話は一旦ここで終える。


2. 名前変換できない「夢」

ところで、夢の中でも派閥のようなものがある。
「夢主=自分」派と、「夢主=オリキャラ」派、すなわち自己投影する/しないの違いだ。大別するとこうなる。
で、これで終わればいいのだが、更に別の区分がある。
それは「名前変換をする/しない」。
夢を知らない人はこう思うことだろう。「夢主=自分なら自分の名前にするし、夢主=オリキャラならそのキャラ固有の名前で読むのでは?」
違う。

     ┃ 名前変換
━━━━━━━━━━━━━
自┃する ┃する
己┃   ┃しない
投┃しない┃する
影┃   ┃しない

こういう感じ。表が崩れていたら各自脳内で補完してほしい。
自分と違う名前の夢主に自己投影できる人もいれば、オリキャラであっても自分の好きな名前にしたい人もいる。

「自己投影する/しない」と「名前変換する/しない」の違いは「白い絵の具と青い絵の具を混ぜて水色を作る」か「緑の光と青の光を混ぜて水色を作るか」の違いに似ている。
両方とも確かに似ているが全く違う物だ。色が同じだからと言って絵の具と光を同一視するのは無理がある。

ここで話は大きく戻るのだが、「そもそも『最近では少なくなってきた』のに、なぜ今更『夢でやれ』に文句を言い出したのか?」という疑問を抱いた方がいるのではないかと思う。

実は似た内容の違う言葉が夢の中でも時たま使われる。
その話の導入として、多くの二次創作者が知っている例に「夢でやれ」を挙げさせてもらった。
では夢の中で言われる「似たような内容」とはなんなのか。

名前変換する(あるいはできる夢を好む)夢者が名前変換できない夢に対して言う「二次オリを名乗れ」だ。
(ちなみにこれは、「名前変換できるがしない」とはまた違う問題で、そもそも「名前変換機能がついていない」のである。)

二次オリを読んだことのある者であれば「???」となっていることだと思う。
そしてその図は(自称)夢アンチの言う「夢でやれ」とよく似た構図となっている。

夢の実情を知らない、すなわち夢の中でも自己投影しない者がいる事実を知らない、あるいは意図的に無視している者の言う「夢でやれ」。
二次オリの実情を知らない者が言う「二次オリを名乗れ」。

そして、なぜか受け皿役を押し付けられた方が「違うだろ」と感じる。

ここで2つ目の主張だ。そしてこれこそが本題である。
「名前変換のできない夢」は二次オリではない。「二次オリを名乗れ」は全くの的外れだ。

恐らく「夢=自己投影」のレッテルにうんざりしていた夢者はまんまとここまで読み進めたことと思う。
この記事は、二次オリの実態を夢者にこそ知ってもらいたいと思って書いた。

二次オリというのは「版権作品の中でオリキャラを動かす二次創作」だ。更に言えば、「版権作品の中でオリキャラ同士を交流させる二次創作」だ。
別段必ずしも二人以上のオリキャラがいないといけないわけではないが、二次オリにおいて原作キャラはそこまで大きな役割を持っていない。出てこない事の方が多い。出てきても「キャラクター」としてより「舞台装置」としての趣が強い。

翻って、あなた方が「二次オリを名乗れ」と言う「名前変換できない夢」はどうだろうか。
確かに、夢主の身長体重、果てはCVまで決まっているかもしれない。
夢主と夢主の家族や友人などのオリキャラしか出てこないシーンがあるかもしれない。

しかし「原作キャラとの接触を想定していない」ということはあるだろうか?
むしろ「原作キャラとの接触を前提に」オリジナル設定を盛りに盛っているのではないだろうか。

それは二次オリではない。二次オリでは「自分の作ったオリキャラが原作キャラと接触したら何が起こるだろうか」を考えることはあっても、そのオリキャラの周りには原作キャラの所属していないコミュニティが既に完成され、まったく違うイベントが起こり、なんの関係もない箱庭が構築されている。

二次オリは「版権作品を勝手にシェアワールド化する二次創作」とも言える。
「名前変換できない夢」を「夢」と見做したくない層はこれでもまだ「じゃあ○○で✕✕で△△なあの作品は二次オリだよね?」と思うかもしれない。

違う。

「自己投影する/しない」と「名前変換する/しない」の違いと同じで自分で体験しないと分からないかもしれない。
なら体験しろ。

自己投影をBLではなく「夢でやれ」と言うのも、名前変換できない夢に「二次オリを名乗れ」と言うのもほぼ同じ問題だ。二次オリにその受け皿はない。

苺の値札に「梨」と書いてあるのを見て「いや、林檎じゃん」と言うようなものだ。色しか似ていない。しかも林檎には黄色や緑のバリエーションもある。梨だって凍らせれば赤黒くなる。だからと言って苺の値札に「梨」と書いてあるのは間違いだし、「林檎」と書いてもやはり違う。
苺は苺だ。


3. コミュニケーション手段としての「夢」

ただ、「名前変換できない夢」を「夢」と称するのに違和感があるという意見自体には賛成だ。
急に手の平を返したように思うかもしれないが、返していない。「名前変換できない夢」は絶対に二次オリではない。
しかし私は、夢とは「名前変換できるオリキャラ(夢主)のいる二次創作」だという認識だ。
既存の夢者の多くがそう認識しているからこそ、「名前変換できない夢」を「夢ではない何か」と思っているではないか。

主にpixivを中心に存在している「名前変換できない夢」は既存のジャンルとは全く関係ない名前を創出すべきだと思う。
そもそも夢小説は「原作キャラに名前を呼んでもらえる夢のような小説」という意味だ。

そしてこの「名前変換できない夢」の存在が「根強い夢アンチ」の存在にも繋がっているのではないかと思う。

pixivランキングを埋め尽くすことも多い「名前変換できない夢」だが、これは従来の夢とは目的が異なるのではないかと言うのが所感だ。
夢の目的は、上の下手くそな表でも書いたように夢者にバリエーションがある以上「これ」と一つに断言することは難しいが、共通点に「夢主と原作キャラの交流を書く」ことが挙げられると思う。

いちいちまだるっこしいので「名前変換できない夢」をこれ以降、便宜上「支部夢」と書くが、今後はこの名称を使うべきとは一切思っていないことを先に言っておく。夢と付くと「これは夢ではない」層との衝突が終わらないからだ。


支部夢は恐らく、作者の「私が今一番はまっているのはこの版権作品です!同じ人いますか?」というコミュニケーション手段なのだ。
「私はこのキャラとこういうことをできたら楽しいと思います」「この世界でこういうことができるんじゃないでしょうか」「この作品・キャラの魅力はここですよね!」と自分の感想を発信し、読み手はそれに賛同したり否定したりする。
正直、これだけなら夢と支部夢はやはり同じものなのではないかとも思うのだが、既に述べたように目的が違う。ムササビはモモンガでないし、アライグマはタヌキではない。似ているが全くの別物だ。

コミュニケーションが目的だからBLなどの他の二次創作に比べて反応が多くなるのは当然のことだ。
キムワイプをティッシュの代わりに使う人はいても、キムワイプを鼻をかむために買う人はいない。あれ意外と固いし水も浸透しまくるからかんだ分だけ鼻が荒れて手が汚れる。普通にティッシュでかんだ方がいい。

BLなどの、従来の夢も含めた二次創作は自分の萌えを誰かと共有することが目的だと思う。だから反応が貰えないのは当たり前、とは思わない。
しかしコミュニケーションに特化していない以上、反応が貰いにくくなるのは事実だ。
メールでもコミュニケーションは取れるが、より密なコミュニケーションに特化したツイッターやLINEなどのSNSがある今、わざわざメールで「明日ランチしない?」と聞くのはかなり少数派なのではないか。いないわけではないが、メール以外のほうが送りやすいし、返信も気軽にできる。

3つ目の主張は、コミュニケーションに特化した支部夢がSNSであるpixivの小説ランキングを埋めつくすのは当然だ、ということだ。
夢が嫌いな人にとっては気に食わないと思うが、コミュニケーション目的の支部夢とコミュニケーション手段であるpixivは抜群に相性がいい。正直切り離すのはもう無理だと思う。


4. ツイッターに生息する「夢女」

そして支部夢がランキングという目に付きやすい場所に出てきたことで、Twitterなどで「夢」を名乗り、「原作キャラは私の彼氏/夫」とツイートする人も増えてきた。
これによって、あくまで原作と二次創作を紙の上、画面の中で完結させたい他の二次創作愛好家たちに苦い顔をされるようになってきた。同じようにオリキャラを介入させる夢者でさえも、悪感情を持つことがある。

「原作キャラ×私」の「創作」に至らない物は、以前は「キャラ嫁」と称され、比較的狭いコミュニティを形成していたように思う。
それが支部夢の台頭以降、「原作キャラ×自分」は一般的な嗜好であるという認識になり、隠さなくなってきたのだと思う。
夢以外で活動する者が言う「夢女になっちゃう」「◯◯の女」はこの類の意味であろうと思う。

そういった考えを隠せという話ではない。そういう経緯だろうという話であり、「従来の夢」「支部夢」「原作キャラ×私」はそれぞれ違うものだという話だ。


ここまでの問題は「支部夢」を従来の夢と違う物として定義することで解決する話ではないかと思う。既に述べた内容ではあるが、これが4つ目の主張だ。

コミュニケーション手段としての「名前変換できない夢」に新たな名前を与えることで、「二次オリを名乗れ」という見当違いの文句をなくし、「pixivランキングを夢が埋めつくす」ことへの悪感情を(なくさないまでも)緩和し、「原作キャラ×私」という層とも住み分けできるようになるのではないだろうか。


5. 主張まとめ

1. 自己投影二次創作であっても夢ではない
2. 名前変換できない夢であっても二次オリではない
3. pixivランキングを夢が埋めつくすのはコミュニケーションを主目的とした二次創作だから
4. 「名前変換できない夢」は新たなジャンルとして再定義されるべき

以上。

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