侘び寂びとミニマルの違いを考える。
マンションリノベーション
計画案3D@新福島
年明けの着工に向けての詰めの段階のマンションリノベーション案です。
文化芸術に関心のある施主のため今回はギャラリーメイク。
キッチンは既製品を使わず最低限で製作。
天板はコーリアンのニュートラルアグリゲート。
マンション的に天板は2枚に分けないと搬入できないから継ぎ目はガラスを差し込むかなど検討中。
カップボードも全て製作。
既製品ほど安くはできないけど作り方をシンプルにすればそこまで価格は上がらない。
壁面は塗装予定。
modernworksのエリッセとの相性で日塗工15-85Aの予定。
床材はクラウドストーン。
施設用の長尺が歩行性も耐衝撃性もモース硬度も美観もクオリティ高い。
絵を設置する為、装飾少なめな壁面や建具、器や花器を置いておけるカウンター、光の反射角小さめの仕上材、作品に対して意識が向かう配色。
照明計画も作家性の高い美しいブラケットやペンダントを使いたくなるところだが、空間の主張をどれだけ無くせるかの覚悟でピンホールのダウンでの構成する。
品性とはまた少し違うニュアンスでアウトラインをどれだけ減らすかというちゃんとミニマルメイド。
今回は家具まで絶対に採用して頂くという意思を持ちそうでなくてはお断りしようとも思うくらいにコストマネジメントへも強い意識で。
マクロから追いかける建築と違い、ミクロから広げるインテリアデザインのテンプレートを全力でやる案件。
最高です。
普遍的なものを作ることができれば時代が2周しても価値は残るというのを強く感じている中で、本質以外を省いた状態が最も普遍に近い有り様で。
微笑み以外を排除したのがモナリザの価値みたいな。
その中で見えてくるのが侘び寂びとミニマルで、どちらも普遍に最も近い概念で。
そこで考えるのが侘び寂びとミニマルの違いはなんなのか?で、随分近い位置にある2つの概念だけど「やがて自然に還る」というのが老師的侘び寂びで。
空間という物質の構成で作った場合、300年後には侘び寂びもミニマルも自然還るわけで。
忘れ去られたデジタルや朽ち果ててしまった物質の300年後でも概念や思想や習慣として残っているものが普遍と呼ばれるものではないかと。
そんなものを人工的に作り出すことなんて人の持つ「運」以外なくて、考えて考えて考えた末に全て忘れて日々のクリエーションに自然体で向かうことが普遍を生み出す上では確度が高いのではと思います。
「技術の上に乗っかるだけでは価値は生まれない。」