盗むなかれ … “善”を不当に自らのものとしてしまうことがないように

スエデンボルグによると

「わたしたちが、試練に入れられる理由は、
 私たちが善を自らに帰さないため」

なんだって。

私たちが、ありふれた不運の中に入れられ、
生命、富、所有物に関して悲しみを覚える道(私たちの自己愛が痛められる道)を通させられるのは、

「善を自分自身の善良さに帰することによって、
 功績や正義を不当に自らのものとしないため」

「世にあふれる不運に私たちが遭わないで、
 私たちが、それは自らが善良であるためだと誇ってしまい、
 この誇りから善良に生きることのできない人たちを見下げるこころが生じて、
 “善”を不当に自らのものとしてしまうことがないように」

だそうです。
と、ということは、ですよ、

「私たちが善を自らに帰さない性格をもっていれば、
 私たちは、通常の不運からしばしば免れる人生を歩むことができる。」


ということになりますから、毎日送る生活の中で、
(実際には、生活の中では、私たちの自然性や根付いた意識から
 自分の善を自分のもとの思ってしまうのは
 息をするほど普通のことだもんね)
毎日の振り返りのときに、
自分の善が自分からのものではないということを確認していけば、
たくさんの実害のある不運を受ける必要が無くなっちゃう!ということ、ですよね!

なんという簡単な道!


“日々自分から進んで、 その日一日の自分の言動とともに、 

 そのときの心の動き・動機を振り返り、 

 自分が自己愛でしかないことを確認していくこと 

 そして、 あるべき人の姿に造り変えられていくことを 

 なんどつまづいても失望しそうになっても求め続けていくこと”      

メダル獲るとらないって、好きじゃないんですけど、

なんどでもなんどでもあきらめ悪く、助けて!って求めていこう

               

日々自分から進んで、 その日一日の自分の言動とともに、 

そのときの心の動き・動機を振り返ることができますように。 

自分が自己愛でしかないことを確認していくことができますように。 

そして、 あるべき人の姿に造り変えられていくことを 

なんど躓いても失望しそうになっても 

求め続けていくことができますように

    

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