既視感

子どもが産まれてから何度かデジャヴを体験した。
ベビーカーを初めて押した時。
赤ちゃんのおむつ替えで足を仕切りに動かして変えるのに苦労した時。

不思議なことに初めての体験なのに、「わかる」のだ。
ベビーカーが段差で引っかからないようにするには、方向転換する時のコツ…
足が動くからタイミングよく足をキャッチしオムツを履かせる…

「ずいぶん久しぶりだから苦労する」という感覚だった。

その頃、鬼滅の刃を読んでいたこともあり、遺伝子に記憶されているのか、と考えた。
しかし私には年子のきょうだいがいる。
幼い時に母の真似をして世話をさせてもらったのかもしれない。

それにしたって身についてると思えるくらいの感覚だった。
子育ては種の存続に必要なことなのだから本能に組み込まれていたって不思議ではないか。
この近しい記憶が親族のものだとすると、私は長女だから曽祖父母の記憶の可能性だってある。
自分が何を経験して考えてきたかが未来の世界を左右するんだろう、と途方もない気持ちになる。

調べたら研究結果とか読めるんだろうけど。自由に思いを馳せるのも楽しいね。

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