十円玉という旅人。
十円玉を手に取って眺めていた。なんの変哲もない硬貨である。でも、十円玉とにらめっこしていると、こやつはとんでもない旅人かもしれないと思うことがあった。お察しのとおり、十円玉は定住の地を持たない。一泊二日や二泊三日、長くても十日間くらいの滞在で次の旅に出る。短いときはものの数十分でその地を去ってしまう。貯金箱という半永住の地につかない限りは、彼らは渡り鳥のように旅をつづてけている。
いま僕が手にしている十円玉も、明日はちがう場所に移っているだろう。それは僕の家の近所かもしれないし、東京から遠く離れた地に旅立っている可能性もある。
十円玉は、 僕より旅をして僕より多くの人と出会う。 人が一生に出会う人の数と比べたら桁がひとつ違うかもしれない。なにしろ日常的に旅をしているわけだから。もしかしたら、その出会いの中には、あのサッカー選手や、あの女優との邂逅もあるかもしれない。あるいは昔の恋人の手に渡っているかもしれない。
「モノ」というものは、基本的にだれかに見初められると、定められた場所に長く滞在することになり、他の世界を見られなくて退屈そうだなあと思ったことがあるけれど硬貨や紙幣はそうではないですね。人間よりいろんなところに旅をしている気がしてなんだかうらやましく思った。人生は旅である、という言葉は彼らのほうが、たぶんふさわしい。