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「おもしろい」をつづけるために…

夏休み中に何冊か本を読みました。教育関係の積読本もたくさんあり、それらも読みましたが、「夏休みは心のままに読書したい!」という思いもあり、教育に関係の無さそうな本も本屋さんで気の向くままに購入し、読みました。今日は、その中で印象的だった『ここだけのごあいさつ』(三島邦弘,2023ミシマ社)という本について書きたいと思います。

この本は、本屋さんで偶然見つけて「あ、ミシマ社の本だ。」と思って手に取りました。(ミシマ社の本には手書きの本紹介チラシが入っているのですが、そのセンスの良さや心意気に共感していました。)本の帯に書かれた「「おもしろい」をつづけるために…」という文に魅かれて、中をめくると自分の問題意識と関連する小見出しがたくさん目に入ってきます。読みたいと思ってレジに行ってびっくり!文庫本そっくりなのに、なんと値段は1650円!でも、この本を買ってよかったなあと心から思っています。

「おもしろい」が制限されたコロナ禍

「「おもしろい」をつづけるために」というキーワードに魅かれたのには理由があります。コロナ禍で、学校における「おもしろい」はとことん排除されました。不要不急のものは制限され、「学びを止めない」ために知識の詰め込みは続けられました。その結果、全国学力調査でコロナ禍における大きな学力の低下は見られませんでした。しかし、不登校児童は増えました。コロナを機に「学校に行く意味って何だろう」と考えた人は多かったのではないかと思います。

私は、コロナ禍を経て、学校には「おもしろさ」が欠かせないということを再認識しました。ここでいう「おもしろさ」は、何が起こるか分からないワクワク感や、無駄に思えることを一生懸命やるくだらなさ、意外な結果が返ってきたときの驚きなどのことです。

そもそも、子どもってそういう存在だと思います。「なんでこんなことに夢中になれるの?」と思うようなことに一生懸命になるし、大人の「こうなるだろう」という予想を簡単に裏切ってきます。子どもの行動や発言に驚かされたり、感心したり、時には困ったりしながらこの仕事をやってきました。私は、そこが教員という仕事のおもしろさだと思っています。

でも、そういう「おもしろさ」を排除し、知識を効率的に身に付ける子どもをつくる教育がコロナ禍を経て、より一層求められるようになりました。一人一台端末を使って、その子に合ったドリルが次々に与えられる。そんな学習の仕方、楽しいんですかね? 私は、やりたくないな…と正直思ってしまいます。(何かの資格が取りたいとか、その分野について知識を身に付けたいという強い意志があるのなら話は別ですが…。)

「おもしろさ」を求めて働く

この本は、ミシマ社を経営する三島邦弘さんが、自社の在り方について、ああでもないこうでもないと試行錯誤する過程を描いた本です。1章の「「おもしろい」をつづけるために」では会社の現状と問題意識について提示しており、2章では内部向けに書いてきた「ごあいさつの記録」(5年分)を紹介しながらコロナ禍を振り返ります。そして、3章では、今後の会社の在り方について現時点での見解をまとめています。

ミシマ社はこだわりをもった小さな出版社です。そこで働いている人の実情と私たち公立小学校教員の実情とはかけ離れているように感じるかもしれませんが、この本で語られる切実なメッセージは、自分の中にある問題意識と強く関連していました。例えば、以下の記述です。

経済界、個人、自治体から、お客、同僚、取引会社まで……全方位から寄せられる一般論の圧やら希望やら、すべてに応えつつ、自分たちの会社の肝であること(自社のばあい「おもしろい」)を貫く。いま、日本中のちいさな組織の責任者たちは、この両者を同時に達成することを求められている。だが、果たして、そんなことは可能なのだろうか?そもそも無理なのではないのか。

p.205

理想を追い求めつつ、社会的な正論にもすべて応える。どこかに無理が出てくるのは当然のことです。公立学校が直面している問題とあまりにも似ていて驚きました。理想も正論も、経営が維持できる状態でなければ、実現は不可能です。そこを打開するための方法を、私たちも真剣に考えなくてはいけないのだと思います。誰かが考えてくれるのを待っているのではなく。

私は、学校の「おもしろさ」に魅かれて教員を続けています。おもしろくない学校だったら働きたくありません。おもしろさを守るために真剣に考える。これは、偉い人たちがやることじゃなくて、下っ端の現場の教員がやることだと思っています。だって、文科省の人や教育委員会の人は、この「おもしろさ」になかなか触れる機会がないのだから。

だからこそ、私はこの本に魅かれました。この本の最後には、結論めいたものが見えるのですが、きっと三島さんは自分の信念と現実との狭間で揺れ動きながら今も試行錯誤を続けていることでしょう。
では、三島邦弘さんの試行錯誤から、私たち公立小学校教員は何を学べばよいのでしょうか。もちろん、組織の規模が違います。社会的な役割も違います。でも、この気概、この姿勢から学ぶべきことはたくさんあると思いました。

今まで起きてきた事実に目を向けながらも、今までのやり方に囚われないで、思考する。その難しいこと。でも、そのプロセスさえも楽しみながらクリエイティブに取り組んで、問題に立ち向かっていきたい。そういう姿勢は、今を生きる子どもたちにもきっと勇気を与えられると信じているから。