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#07 虹色の朝陽 生い立ち 保育園年少⑴

保育園へ転園した話


3歳の頃に自閉症スペクトラムと診断された息子は幼稚園未就園児クラスへ通うものの、なかなか集団生活がうまく送れず幼稚園を退園することになりました。

療育へ毎日通所するか?
受け入れてくれる幼稚園や保育園に転園するか?

色々と悩みながら、私自身も働ける環境を維持できるように

4月から新しい保育園へ転園しました。

保育園年少クラスへ入園する頃に、夫が仕事で3ヶ月ほど長期出張となりました。

ただでさえ三人兄弟の子育てが大変なのに、三男は自閉症スペクトラムでADHD。毎日のスーパーへの買い物だって大変...子どもたちの宿題も見れな い…新しい保育園の流れについていけないし、長男次男のサッカーなどの習い事の送迎も大変。

そんな中あまりにも私がいっぱいいっぱいだったので、夫がいったん出張先から家に帰ってきてくれました。私も子どもたちもストレスフルだったので家族で遠出をして気分転換・・・といきたいのですが、発達障害児を連れての外出はなかなか大変です、、。

この時期は家族そろって出かける事が難しく夫婦揃って疲れてしまう事も多かったので、外出はどちらか一方が長男次男をつれて外出し、夫婦どちらか一方が三男の面倒を家で見るといった感じで二手に別れるというふうに過ごしていました。

夫は育児にも協力的で、私よりも子煩悩。夫婦間で喧嘩もありますがそれなりに仲が良い方だと思います。

しかし、夫婦別行動で子どもの面倒を見る事の多かった時期でもあり、息子の発達障害の事も周囲へ隠している時期でもあったので、3男の姿をあまりみかけない事や夫婦別行動をしている事から夫婦仲がうまくいっていないのでは?といった噂もながれるようになっていましたね。

保育園遠足の思い出

通っていた幼稚園を退園し環境を変え 保育所へ通うことになったのですが、夫が長期出張で約3ヶ月ほど不在だったので入園式は親子二人で出席することに。


そんな中最初の保育園行事親子遠足がありました。私は親子遠足に行くのが嫌だったので、またズル休みしようと考えていました。親子遠足へ行ったところで結局息子を追いかけて二人だけで過ごすんだから、ずる休みして近場の公園で遊ぶのとそんなに変わらない。

お弁当を作っても偏食で作れるお弁当も恥ずかしい中身だし、そんなお弁当を持ってみんなでブルーシートでご飯を食べるなんて恥ずかしくて絶対嫌だ。

仕事で行けないことにしようと思っていたのですが、友人からせっかくだから行っておいでよと背中を押してもらったので「どうか何事も起きませんように・・・」と願いながら参加しました。

案の定私たち親子は二人きりで過ごし、保育園のクラスのお母さんとなんてゆっくり話せるわけもなくお弁当も二人ですみっこでお弁当を隠すように食べました。息子の食べれるものだけ詰めたお弁当です。

当時の気持ちを音声でもお話ししてますのでよかったら聞いてみてください。

長男次男の小学校運動会の事


発達障害の息子が保育園年少さんになった頃長男次男の小学校運動会が行われました。


いつもは夫がいるので三男の面倒をどちらか一方がして、どちらか一方がビデオで撮影したりとするのですが、この時は夫不在の中運動会へ。

お弁当作る時間もなくサンドイッチととうもろこし・・・

のみ笑(ごめんね)

三男が運動場を徘徊するので私は息子を追いかけるだけで、そんな私の姿はまるで私が障害物競走にでも参加しているかのようでした。

レジャーシートを広げてゆっくりしたい所ですが、そんなレジャーシートをバサバサと遊びものとして扱うのでそれを阻止するのに疲れましたね。


こんな時はもう携帯を渡して大人しく待ってもらうしかないのです。

結局長男次男の運動会の様子がゆっくり見る事も出来ず、ただ息子を追いかけ回してぐったりの運動会となりました。


次男の種目を見たくても見れず、白目で過ごしたのも1つの思い出です。


3兄弟夫婦でも見るの大変なのに一人で三人見るって本当に大変でした・・・。

保育園年少5月の様子


夫が長期出張で不在だったので、子ども三人それぞれ手がかかり私一人では手がまわらない3ヶ月でした。

保育園のほうでは少しずつ環境にも慣れてきて先生と一緒によくしゃぼんだまをして遊んでいたようです。


この時期の息子はシャボン玉ブームでした。でもこのシャボン玉のような吹く遊びは発語を促してくれるとよく聞いていたので家庭でもシャボン玉をして遊んだりラッパのおもちゃを買って家庭ではよく遊んでいました。

保育所の活動はいまいち参加できない事も多く途中で作業をやめて教室から脱走とまではいきませんが、他のクラス(赤ちゃんクラス)へ行って赤ちゃんと一緒に遊んでいたそうです。


制作物の先生との会話が左上に書かれているのですが

T:なにができたの?
C:うさぎ
T:クレヨンしてみる?
C:おしまい

え・・・?笑

これはストローでたらした絵具をふーっと吹くやつです(吹き絵?)


どうしても私は息子が話せるように…言葉がでるように…って必死だったので「うさぎって言ってごらん」「うさぎ!」といった感じで、言葉や単語そのものを教えこもうとしていました。

でも言葉っていうのはきっと、楽しい親子との関わりの中や教師との関わりの中で、子どもが相手に伝えたい話したいっていう気持ちが湧き出て、言葉へとつながっていくんだろうなと思います。

この時期ピースができるようになりました^^小さな成長ですが嬉しい成長です。


三人いるとそれぞれに時間をかけれず悩み出します。夫がいなかったという事もありますし私自身も職場の移動があったりと家事と育児のバランスが保てない・・そんな状況の中で、少しずつこのまま仕事を続けるべきか?と考えるようになっていきました。

保育園年少6月の様子


6月の頃の様子です(3歳10ヶ月)

保育園の活動には参加したりしなかったり相変わらず自由な息子です。

6月13日
今日は保育士と一緒に保育園の事務所へ人数報告へ行き
「6人です」としっかり答えてくれました

6月15日
今日は跳び箱、ハードル、三輪車、ブランコ、ジャングルジム
登り棒、お砂場と沢山のからだを動かして園庭で遊びました

6月18日
今日はあじさいのスタンプをすると
自らスモックを着てスタンプをしました
「こうして」「こうして」と言いながら
考えながらやっていましたよ

6月22日
今日は家族についての話があったのですが
朝陽くんは家族がママ、おとうしゃん、おにいちゃんと話してくれましたよ
ママの写真を手に持ってニコニコ笑っていましたよ

ワールドカップが始まり お兄ちゃんの影響でサッカーに興味を持っていた息子ですがこの時期からプールに興味を持つようになりました

6月27日
今日は来週から始まるプールの話をしました
プールの入り方の話をしっかり聞いていた朝陽くん
一人ずつ実際に入る練習をしてみましたが
真似して順番通り出来ていました

年少の頃から習い事について少し考えるようにもなりましたが、なかなか順番を待てない、最後までやりきれない、会話が成り立たない事もあり、見学の申し込みをしても習い事教室から入会を断られる事もありましたね。



保育園年少7月の様子


年少7月保育園の様子です


7月2日
今日はプールで遊びました
プールの中では「冷たい」と言いながらも
ニコニコしていました
午睡時「先生トントンしなくても朝陽一人で寝るね」
と言ったので
「わかったよ 見てていい?」と聞くと
「うん見てて」と言い
本当に一人で午睡していましたよ

7月4日
今日はプール遊びしています
水が大好きという気持ちが表情からとても溢れていました
ボールを沢山拾って「4つよ見て」と話してくれました
また衣服の着脱も自分で頑張っていましたよ

息子はプールに対して抵抗がなく恐怖心もなかったので、好きな事を沢山のばしてあげたいと思うようになりました。

それからスイミング教室を探すようになるのですが、3件ほど断られてしまいました。発達障害があるという事を伝えると、返答に困られてしまって、先生の話を座って聞けない事などが事故につながる原因にもなりかねないという理由からスイミング教室に行く事を諦めました。

発達障害の特性のある子でも好きな事を見つけて伸ばしてあげたい・・・でもどこにもそんな場所がない・・・。


私はいったんスイミング教室へ通わせる事を諦めました。


4歳の誕生日に4歳と言える


そんな息子もあっという間に4歳になりました。

1年前…3歳の幼稚園誕生日会は涙の1日でしたが、あれから1年でそれなりに成長もみられました。

保育園でもらったメダル

4歳の誕生日は息子が当時大好きだったカービーの誕生日ケーキです。

カービーのキーホルダーも息子の宝物。ケーキも喜んでくれて夜は家族でささやかにお祝いしました。

1番の成長は「何歳ですか?」の問いに「4歳です」と言えるようになった事です。

4歳の誕生日プレゼントは任天堂Switch。

めちゃくちゃ喜んで遊んでいました。マリオのゲームやスプラトゥーンで当時はよく遊んでいて、今はフォートナイトで遊んでいます。

4歳トイレトレーニング完了


3歳の頃に自閉症スペクトラムと診断された息子ですが、2歳8ヶ月からトイレトレーニング を開始して約1年ちょっと・・・4歳の誕生日をもってトイトレ完了しました。


長いトイレトレーニング でした。

これは3歳8ヶ月の頃。発達障害の特性のある子は感覚過敏でパンツがはけなかったり、こだわりが強くて同じオムツじゃないと履きたがらない事も。


トイレの場所が怖くて家じゃないとトイレが出来ないなど周りの人から理解されにくい部分も沢山あります・・・。


親だって大変。心も体もしんどいのです。


我が家はトイレトレーニングではシールを貼ったりしながら乗り越えてきました。

オムツだっていつまで買えばいいの・・・発達障害児のトイトレはストレスかかるしお金かかるし本当に大変です。

保育園年少8月の様子


発達障害の息子が4歳の誕生日を迎えた頃、私の祖母がなくなりました。

私は息子を連れてお葬式へ行くのが憂鬱だったのです。

3歳に診断されて約1年…親戚の中にも近い人には話していた息子の障害の事。

誤魔化しきれなくなったので、色々と説明しなきゃいけないだろうなと思い大好きな祖母の葬儀に行く事も本音は行きたくない・・・という気持ちがどこかにありました。

もちろん多動の息子が大人しく座っていれるわけもなく、おやつを大量に用意して行ったり、ゲームを持たせて行ったりと、それでも会場内で動き回るので周囲からは「親は何しているんだ?」という視線が・・・。

もうこの時期は、周囲の目線も慣れたものだったので、とにかく静かに過ごせたらOK!という事で過ごし、私はゆっくり祖母とお別れも出来ず寂しい最期のお別れの日となりました。

親戚に障害の事を伝えても、理解してくれる人ばかりではなく、近い親戚の集まりは理解してくれる人ばかりで助かるのですが、親戚の大きな集まりは未だに行きたくないという気持ちがあります。

音声でもお話ししてますのでよかったら聞いてみてください。

保育園年少9月の様子


息子が年少9月(4歳0ヶ月)の頃、私の誕生日をささやかにお祝いしました。

息子が3歳の頃は本当に何も言葉が出なくて、私も毎日言葉が増えるようにと必死で、でもなかなか出なくて・・・いつになったらコミュニケーションが取れるんだろうと思っていました。

しかし、4歳の誕生日を過ぎてから5歳にかけては本当に言葉が増えたように思います。私としては、幼稚園から保育園に転園したのも息子にとってとても良かったと思います。


預かり時間も長くなって他の人との関わる時間が増えた事やクラスに10人もいない少人数でしたし先生との関わりも多かったので、保育園で本当に成長したと思います。

2語分3語分が少しずつ増えてきたのも4歳の誕生日をすぎてからです。でも言っている事が分からないという事もしょっちゅうありました。

なるべく言いたい事を共感してあげて「〇〇なんだね」って息子と話す事で、(通じ合わない事も沢山ありましたが)少しずつ息子の理解が深まっていったように思います。

言葉が増えるようになってきて、息子の気持ちがわかるようになって、少しずつ夫婦もお互いに歩み寄れるようになった気がします。


子どもを支援していくために夫婦でしっかり話し合っていかないと何も進まないんだということを息子の子育てで学ばせてもらいました。

↓続きのエピソード#8はこちら



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