#08 虹色の朝陽 生い立ち 保育園年少⑵
保育園年少10月運動会
3歳4ヶ月の頃に自閉症スペクトラムと診断された息子ですが、保育園に転園して10月に運動会が行われました。
年少の時も先生にサポートしてもらいながら先生と2人で手をつないで入場です。
準備運動は先生の動きをそばで見ながらなんとか出来るといった感じです・・・。
おっ!
なかなかの出だし好調だ!と思いましたが・・・
飽きる・・・
私もそんな息子の様子に慣れてはきてたのですが、保育園に転園してから他の保護者にはまだちゃんと息子の事を話していなかったので「どう思われてるだろう?」とやっぱり気になりましたね。
私はこの時の運動会も、ちょっと離れた場所から目立たないように運動会を見守っていました。
▼シャケおにぎりと肉団子と卵焼きは息子の大好きなご飯でした
朝陽が自分の出番を待ってる時は補助の先生がつきっきりです。
自分の出番になると張り切って楽しそうにしていたのでそれだけで私は十分です。
なんとか全ての障害物をクリアしていき運動会の中でも一番楽しんでいたと思います。
当時、下の写真のようにして消防士さんのマネをして綱渡り?の動きを楽しんでいてブームになっていたようです。
先生がその姿を見て息子の好きな事を種目の中に取り入れてくださいました。
このキックバイクも取り合いになるほど大好きで^^;一生懸命 競技中も頑張ってました。
じっとしておくことは苦手だけど体全体を使って動くことは大好きだったし得意なので先生方はそういった息子の特性に合わせて出来ることを沢山褒めて伸ばしてくださいました。
春になったら3年間通った保育園のお友達や先生ともお別れです。お別れは寂しいですね・・・。
1年たってもそんなに成長は見られず待機中は先生にべったりで明らかに目立ちます。
床にごろーんと寝転がる息子を先生が機嫌を整えてくださりなんとか待てているという状態です。
かけっこの時間になりました。走る前にお名前を言うのですが、かけっこは大好きだったので張り切って名前を言う事が出来ました。
そして言葉に関しては4歳から単語が沢山出始めました。
でも、、、、
かけっこが大好きすぎて負けたくないという気持ちがあまりにも強く1番へのこだわりも強かったのでかけっこで負けてしまうと癇癪を起こしてしまうのです・・・
既に顔が「あー負けた」の顔で走っていました。この時期は勝負へのこだわりや1番へのこだわりが強く、よく担任の先生からも相談を受けていました。
私もどう気持ちによりそってあげればいいのか分からない…そんな気持ちで見守っていました。
運動会は参加できたものと参加出来なかったものがあり・・・。
クラスのお友達と協力して種目の表現は最初は全くやる気がなく…。
参加したくないと拒否・・・。先生が最初はその場で一緒に表現をしてくれていました。
体育館の中央で表現をするのですが何度声をかけても嫌だ・・ということでしばらく様子を遠くから見ていました。
先生も息子の気持ちに寄り添いながらも、なんとか参加出来るように声をかけてくださっていて、しばくらしてなんとか息子も中央まで走って来ることができました。
参加しているうちに少しずつ楽しくなってきたようで、最後は笑顔で運動会に参加する息子の姿を見れて私も少しだけホッとしたのを覚えています。
保育園年少11月の様子
10月の運動会では成長を見せてくれた息子。11月は 保育園でクッキングがおこなわれていました。
保育園でクッキングをするようになってから、偏食だった息子も苦手な食材にチャレンジするように。偏食は無理矢理食べさせるのではなく、根気強く少しずつ食べれるものが増えたらいいなというスタンスで見守っています。
保育園年少12月発表会
12月になると発表会が行われました。まだクラスのお母さん達には詳しく話していなかったので周囲からの目が気になる発表会となりました。
興味の偏りが見えるようになり、体を動かす事はすきだけれどじっとして歌ったりするのは苦手。なので息子は途中で歌や楽器が嫌になりステージ上で床に寝転んでしまいました。
ユーチューブでも動画をご覧いただけます。
発表会が終わって退場する時に、私に笑顔を向けてくれた息子ですが、私は泣いていました。
一年たっても変わらない、療育へ行っても変わらない、この先もきっと変わらない。息子は他の子のようになんかなれないんだと涙を流していました。
この日の発表会から数年経ち保育園最後の発表会では息子らしい成長を感じる大変感動する発表会を見ることが出来ました。
あの日泣いていた私に伝えたい。
「朝陽は朝陽でいいじゃない」
「朝陽の良い所 好きな事見つけてあげよう」って伝えたいです。
保育園年少初めての療育手帳
保育園年少の頃12月の冬休みに私と私の母と発達障害の息子三人で鹿児島へ旅行に行きました。
目的地は西郷どんツアーです(笑)
母が大好きな大河ドラマの西郷どんのドラマにまつわる様々な展示がされていました。
入館する際に障害者手帳などお持ちですか?と聞かれたので、息子の療育手帳を出しました。
始めて療育手帳を使った日です。おかげさまで無料で館内を楽しむ事が出来ました。
一緒にいた母も足が悪いので障害者手帳を出して入館しました。
母は10年ほど前にくも膜下出血で倒れ1年ほど意識不明だったのですが、当時は作業療法士さんや言語聴覚士さんからリハビリで支えてもらい、今では歩けるようにも話せるようにもなった母です。
しかし母の身体は左半身に麻痺が残り左の手や足が思うように動きません。それでも母は、好きな事手芸や三味線を楽しみながら生活しています。
母が倒れてから数年、やっと母が元気になったという頃に朝陽が誕生し、そんな母へ朝陽の障害の事をなかなか伝える事が出来ませんでした。
自閉症スペクトラムという言葉を伝えてもあまりピンとこない。支援学級という言葉も昔はそんなの無かったと、よく分かっていない母です。
朝陽を連れて実家に帰るたびに「朝陽はよくなったの?」「いつよくなるの?」「ちょっとは話せるようになったの?」「絵本読んであげなさい」「携帯見るのやめなさい」って母から聞かれるたびに私は嫌でした。
朝陽の事を分かって欲しいのに理解してもらえない事と、母には余計な心配させたくない気持ちで私も複雑でした。
親子でもこんなに理解出来ないなら、誰かに発達障害の子育てを理解してもらうなんて無理にきまってる…とさえ思いました。
せっかく母が楽しみにしていた記念館も、朝陽が退屈してしまって5分で館内から脱走してしまい、朝陽と二人で外で母が戻ってくるのを待つ旅行になりました。
でも母が楽しんでくれたのならば、それはそれで親孝行になったのかな。
音声でもお話ししてますのでよかったらお聞き下さい。
保育園年少1月の様子
保育園年少1月の頃のお話しです。
上の写真は息子がもちを描いた作品です。お餅がふくらんで破裂したんでしょうね笑
息子はあまり保育園での制作が好きではなかったようで、よく制作活動中に教室から逃げて0歳児クラスのお部屋に赤ちゃんを見に行っていたと担任の先生がおっしゃってました。
発達障害の特性を持つ子は、絵の具やクレパスが手につく事も嫌がる子が沢山います。少しの事でも不快に感じる事があり過敏になってしまうのです。息子もノリが手につき嫌がる事もよくありました。
感覚過敏の子もいれば音に敏感な聴覚過敏の子もいますし、逆に鈍感な子もいて感覚鈍麻と言われています。
息子に感覚鈍麻はみられなかったと思います(私が気づいてないだけかもしれませんが)
息子は足に感覚過敏があり、靴や靴下を履きたがりませんでした。
1月の寒い時も室内はもちろん公園で遊ぶ時も素足で裸足のまま遊ぶので、周囲からは心配そうに変な目で見られ、靴下履かせてあげなさいよ!と声をかけられることもありました。
「ぼく寒くないのー?」「靴下履かなくて大丈夫?」と息子も声をかけられます。
一見、発達障害だと分かりにくいので周囲の人から理解されるのも難しいと思います。でもそういった言葉をかけられると私たち親子の気持ちなんて何も分からないでしょ、、と私にはネガティブな感情しかありませんでした。
しかし周囲の目も気になるので、私もなんとかして息子へ靴を履かせようと必死でしたね。
そして息子は手を繋ぐ事も嫌がりました。私はただ息子と手をつなぎたいだけなのに、普通の親子のように手をつないで散歩したいだけなのに、それすら出来ず保育園から駐車場までのわずかな距離さえも手をつなげず。
道路を歩く時も危険なので保育園の先生とも話し合いました。
そんな時に保育園の先生から「教師の小指なら握ってくれるようになったので、お母さんも朝陽くんに小指を握ってもらうように伝えてみてください」とアドバイスを頂き半信半疑で実践してみると…本当に息子が私の小指を握ってくれたのです。
年少1月 4歳4ヶ月くらいの出来事でした。本当に本当に嬉しかったのを覚えています。手をつなげるってこんなにも嬉しかったんだと三人目の子育てで初めて味わう幸せでした。
発達障害児の子育ては決して辛い事ばかりではありません。幸せを感じる瞬間が沢山あります。
サッカーの試合中に見失う息子
息子がちょうど4歳5ヶ月くらいの頃の出来事です。
当時3年生だった長男の大きなサッカーの試合がありました。長男の低学年最後の大きなカップ戦で、当時長男はチームのキャプテンを努めていたのですが、このチームから移籍する事をこの試合の時から決めていて長男にとっても私や夫にとっても思い出深い大会です。
代表で選手宣誓をさせて頂き長男にとっては大変ありがたい貴重な経験となりました。
試合も順調に勝ち上がり準々決勝、準決勝とすすむにつれて発達障害の息子も退屈してきます。
試合中に息子を見失う事なんてしょっちゅうで、私も慣れたものですが、こんな大事な試合の時にかぎって息子を見失って見つからない・・(ウサギの飼育小屋にいました)
長男の大事な試合なのに、結局最後までなかなかゆっくり見る事は出来ませんでした。
夫と二手に別れて息子を子守するのですが私も夫も試合のほうが気になってしまって長男の試合を思う存分楽しむ事が減っていきました。
試合の結果が気になる夫も遠くから試合コートを見つめます。
他の保護者の人と一緒に声援を送りたい、もっと近くで長男の活躍をみたい…そんな私の気持ちに気づいて息子の面倒をみてくれる優しい保護者の方もいらっしゃったりと、本当に心優しい保護者の方に恵まれた環境だったとも思います。
試合は見事 優勝を勝ち取り、本当にこのチームから移籍する事を寂しく感じました。最高の仲間とサッカーで繋がった思い出です。
新しい環境にチャレンジする長男を応援したいと思い、子ども三人を連れてJリーグの観戦にいきました。
三男がいるので不安しかありませんでしたが、案の定座っていれない三男を追いかけ回し、長男と次男二人で試合を見せる事になってしまいました。
喜ばせたいと思ってもなかなか上手くいかない子育て・・・一緒に行ったのに一緒に見れず、長男次男は楽しかったかな?と私も子育てに自信がありません。
また子ども達三人を連れてサッカー観戦いける日が来るかな。いつか家族五人でワールドカップでもみにいきたい!
とある日のサッカー観戦。夜のスタジアム観戦へ行った時にハーフタイムで抽選会がありました。
息子が見事当選!
スタジアムで息子の名前がアナウンスされて大変嬉しい1日になりました。今でもこのボールは大切に飾ってあります。
三男もいつかサッカーをする日が来るのかな?
保育園年少2月の様子
4歳6ヶ月くらいの頃の話です。4歳を過ぎてから言葉が沢山増え、先生や初めて会う人とも少しずつ会話が出来るようになってきました。
年少から療育へ週に2回通うようになって、本当に沢山成長したように思います。この時期 療育の先生が保育所の方へ息子の様子を見に見学へ行かれました。
その日の連絡帳にはこのように書かれてました。
保育園年少3月の様子
あっという間に3月になり保育園に転園してからの1年間は少しずつ言葉が増えた1年だったなと思います。
公園やちょっとしたお出かけも出来るようになり1年前に比べると出来る事が増えたと感じます。
卒園式に息子も少しだけ参加しました。なかなかじっとして参加できませんでしたが、年長さんの卒園式を見て息子もいつか卒園する日が来るんだな…その時はどんな風になってるかな??
入所した時はまだまだ3年あると思っていましたし、卒園なんてまだまだ先の事だと思っていたのですが本当にあっという間の3年間でした。
↓続きのエピソード#9はこちら
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