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あなたにもきっと書ける

わたしは「羽生さくる文章教室」を主宰している。
わたしが持っている書くことについての経験と技術を、書くことが好きな人たちに知ってもらえたら、という願いから始めた教室だ。

最初は8人から10人くらいの生徒さんを集めて講義していたのだが、文章の推敲が中心なので、複数ではじっくり向き合うことができないことがわかり、ここ数年は一対一のセッションの形式にしている。

あるとき生徒さんから、推敲の過程で自分を肯定してもらえた、という感謝の言葉をもらい、自分では意識していないことだったので、驚くとともにとてもうれしく感じた。

推敲というのは、文章に手を入れて「直して」いくものではある。
それでもわたしは「前に書いた文章や言葉にばつをつけてよいものに替える」というアプローチはしたくない。

前に書いたこの言葉も悪くないのだけれど、いま見るともっと違ういいかたができる気がする、という自分のなかの「違和感」を大事にして、よりふさわしい言葉を探す作業にしたいのだ。

自分が書いている自分の文章にまちがいというものは起こりようがない。
誤字脱字にしたって、ただ修正すればいいだけのものであって、過ちではない。

わたしの目で生徒さんの文章を見ると、直したほうがいいと思えるところはたしかにすぐ見つかる。
でも、そこをわたしの価値観で変えてしまうと、その人の文章ではなくなる。

だから、箇所を指摘して、二人で考える。
その過程を、ある生徒さんは「自分を肯定してもらった」と解釈してくれた。

言葉を選んだその人を肯定するということは、わたしにとっては当たり前のことだったから意識していなかったのだ。
それはつまり、わたしは言葉というもの全体を肯定しているということに他ならないといまは思う。

言葉を肯定することと、言葉が出てくるその人の心を肯定することは等しい。
わたしとの推敲を通して、生徒さんが自分の言葉を認め、自分自身を肯定してくれるなら本望だと思っている。


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