たいくつしない
二十歳のころだった。
わたしを編集の世界に招きいれてくれたAさんというひとが、中学の同級生とばったり会ってお酒を飲むことになったからきみもいっしょに、とわたしを銀座のバーに連れていった。
水割りってまずい、といったら「嫌いといいなさい」と彼に叱られたのがこの夜だったのだけれど、もう一つ思い出がある。
同級生の話は、彼が信じる宗教のことだったのだ。
Aさんはだいぶ閉口した様子だった。
わたしもとまどいつつ、宗教の話自体は中学からキリスト教のそれを聞かされ慣れているので、他の宗教でも聞くべきところはあるはずだとも思っていた。
ちょっと話が大きくてわかりにくくはあったけれども。
翌日仕事場で会うと、Aさんはすまなそうにいった。
「ゆうべはわるかったね」
わたしは答えた。
「ううん、なんにも」
「つまんない話につきあわせちゃって」
「ううん」
「たいくつだったよね」
「どんな話にも意味があるから、たいくつってことはないの」
彼は眼鏡をちょっと触ってからいった。
「それはえらいね」
茶化す調子は少しもなくて、本気で褒めてくれていた。
ふだんシニカルな彼だからよけいにうれしかった。
それからもずっと、わたしはひとと話していて、たいくつに思ったことはない。
仕事でもプライベートでも、たいくつな話はないし、たいくつなひともいない。
性格なのか天分なのか。
薄くてあまいのに飲んだらかーっとなる水割りの味といっしょに覚えたなにかであることはまちがいない。