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【人生】父が亡くなり1年と8ヶ月
早いもので父が亡くなり2回年を越してしまった。
まだ「懐かしさ」には変わらない悲しさがあるなと思う。
そのうち公開すると思うが、今、まち(goodpatchさんという会社)でやっている企画のひとつの「25年後の上川町を小説にする」に参加させてもらっていて、
自分の記憶をAIで生成したVR空間で楽しめる、老人ホームやデイサービスのアクティビティ(レクリエーション)について考えている。
登場人物はフィクションだが、私自身の経験と感情を織り込んでおり、この頃非常にナーバスな気持ちで過ごすことが多い。
多分VRで見た過去の実家に父の気配を感じたためだ。
私に物語を書かせる動機付けになっていることのひとつが「父の死」と、それにまつわる「後悔」や「やり残したこと」なのだと思う。
当時の精一杯をやったつもりだ。
生活すること、私自身が生き残ることをしながら、介護(同居ではないが)介助をするのは、しんどかった。そんなものは我慢できて、最後まで包み込むような優しさを聖母のように発揮できればいいのにと思いつつ、怒りと泣き言ももれる。
結婚後は滅多に里帰りは出来ず、父と最期のお別れが一週間前に出来たけど、独りで逝かせてしまったのは悲しかった。
コロナの時代のせいで手を握ることも抱き締めることも出来なかった。亡骸になった父の頭を静かに撫でた。
火葬場で遺体が焼かれる、焼き場に入る瞬間は、もう亡くなっているのに「人殺し!」みたいな気持ちとなった。父の形がこの世から消えてしまうのが怖くて堪らなかった。
あんな気持ちになるとは、正直思わなかった。
母は入院していて、父と同じ病院に転院がかなったので、父との別れに立ち会わせられて、妹も精神科に入院していたが、外泊可能で、私と共に父の亡骸と一緒に過ごした。
家族が揃って見送れたのは、不幸中の幸いだった。
父は苦しくなかったか、ワガママで延命させてしまったのではないか、寂しくなかったか。沢山のことを考えてしまう。
母のこと、そして自分自身の最期のことも。
そしてそれに至るまでも、いつまでどこまで私は私らしくあれるだろうか。
この町は「ウェルビーイング」に特化した部署というか、その推進を担う若者がいる。
ここ数年で、自身がそのように在ろうとしている姿と、ゆっくりとゆっくりとした意識の変化が起きていると思う。
ひとりひとりの活動を詳しく把握はできてないが、私は素敵な町で過ごしているなと感じている。
父に出来なかったことベースなのが悲しいが、せめて、私の周りには後悔なく接して丁寧に生きたい。
父が教えてくれたことのひとつだ。
顔は母に似たけど、好きなことは父に似てきた気もする。下手くそな工作、健康なの良さそうな美味しくない料理(笑)ゼロからのプログラミング。父の血がそうさせるのを楽しみながら、今はいない父と生きていく未来のために、今日も月命日の日記を書く。
色んなことを、結構わすれていっている自覚がある。せめて記録だけは残して、読み返したときにその日に帰ることができるようにと、願いを込めて。
父の魂はもう何処かで新しい生命として何かを楽しんでいるだろうか。お父さん、夢でいいから会いたいね。