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【人生】父が亡くなり1年2ヶ月
先日13日、やっとお墓参りをした。
といっても共同墓地。熊が出るため役場の人が見回りをしていて、持って帰ることは知ってるけど必ず御供を持ち帰るよう言われながらするお墓参り。一分と参れなかった。
とにもかくにも暑い日で、前日は同じ敷地の夫側の墓地を一人で掃除して草をとった。
2時間もしたらめまいがしてきて、凍ったペットボトルを沢山ポケットにいれて回復した。
昨年の今ごろは脱水状態を起こしている。
忙しさも手伝い日常が戻ってきた。
父のことも頻繁には思い出さなくなっていった。
人は悲しいくらい忘れ行く生き物
ミスチルの歌がよぎる。去年はあんなに強く悲しくて困惑していたのに。
写真の父をみると、やはり悲しい。
「思い出」にはまだ変わってない
悲しくて悔しい。
どうして、と。考えても仕方のないたらればを考えてしまう。
うちなんかより「どうして」となる死のニュースがここ一年でもいくつも流れた。
事故、熱中症、熊、地震…
ニュースを見る者は自分事ではない。
ある日突然訪れるかもしれない。
必ず来るのにいつかはわからない。
嫌な来客だ。
まだ見送るべき人がいるだろうが「自分の番」を意識してしまう。
「どのように生きるか」という問いは
死が何処かに有るから出てくるものなのだろうな。
私の生も死もこの世界にとっては何の意味も持たぬことなんだろうけど。
せめて大切な人のためにこの命を燃やしたい。
今何かしているわけでもない母が、存在しているだけで私の支えになっているように。
誰かのそのような存在であれるように生きよう。
どんな人が見送ってくれるだろうか。
お盆は沢山虫が家に出た。
虫の姿を借りてご先祖が会いに来るようだが
今年は盆に蛇が出た。
姿はすぐに見えなくなった
酒の間をぬって消えたのでもしかしたら夫の父かもしれない。
父も様子を見に来ていただろうか。
柱にいた小さな蝙蝠。あれかな。
このところ夜が暑すぎて夢そのものを見ていない。
盆が過ぎて唐突に秋が来た。今朝は肌寒かった。
父と夢で会えますように。