【読書】頂きはどこにある?
今日も読む薬、スペンサー=ジョンソン氏の本を読んだ。氏は6年前に逝去されたようだ。
そして医学博士だと知った。
なるほど、山と谷を例えるのに心電図みたいのが出てきて、著者の人生の一部を垣間見た気がする。
本の内容に興味を持つと、著者はどんな人でどんな人生を歩み、何を価値にしているのだろうと思う。
この本が語るのは
人生には順境と逆境かあり、それは地続きである。浮き沈み…山も谷もない人生とはあり得ないし、起こる出来事が違うだけで全ての人に必ず起きること。
外部の出来事はどうにもならないが、心のうちの山と谷は、順境にも備え、謙虚であり、逆境の利点ー見つけ、必要以上に恐怖せず、現実を味方につけること。
概ねこのようなことがかかれている。
辛い時の過ごし方、逆境の楽しみかたを書いていると言っても言い。心が少し楽になる、やはりシンプルでよい本だ。
まとめにも、ソウデスネと読んで知った気になることにも意味がない。
想像ですらも、五感をリアルに働かせることの大切さを書いている。
読んで自分とたくさん話してみてほしいと思う。
私は、やはり父の死に今強く心を支配されているので、この本で一番心が揺さぶられたのは、
若者にアドバイスをくれた頂きにいる老人の訃報だった。
価値ある哲学よりも、大切な人の死が一番の関心ごとで、悩みで、忘れたくはないけど続いてほしくもない苦しみだ。本当に辛いのだ。
世界中のほとんどの人が経験する、しかも父のように穏やかに老後を迎えることもない死もあるなか、人はどうやってこの愛別離苦に耐えているんだ?と騒ぎ立てたいくらい、私は辛い。
大切な人の死を目の前に、この状況の真実はなんだろうと、主人公は考えてる。
失ったものを求めるときの不幸を谷と呼び、
持っているものへの感謝するときの幸福を山と呼ぶ。
父の死という、どん底の気分な
この出来事の感謝すべきことは、
「父が存在してくれたこと、私が存在できたこと」の有り難みに気づいたことだ。
満足に動く身体を持ち、味わえる、音が聞こえる、目が見える等の五感が働く。
感動ができる。父と母が出会わなければ、私は存在しなかった。
こうして悲しいのは、失って悲しいほどの幸せがあったからだ。幸せだったのだ。
父との関係は、不幸ばかりではない。それどころか、もう「これから」がないとなると、
過去のどんな出来事も宝物だ。
ただ存在してくれたことへの感謝しかない。
その父を生かしてくれた全ての人にも感謝したい。
残念だけど、父が居なくなって初めて気づいたことだ。居る時は、気付けなかったかもしれない。
それがもしかしたら父の死が与えてくれた最大のギフトなのかもしれない。
当時は冗談じゃない出来事でも、今や、全てのいとおしかった気さえする。
過ぎたから言えることで。渦中はやはり、冗談じゃないわとしか思えなかったと思う。
起きたことを一つ一つ丁寧に掘り下げれば、まだ思いもよらない宝物が埋まっているかもしれない。
私は今の自分は嫌いではない。
私の今の友人は、優しいとか思慮深いとか評価してくれることがある。
これは、やはり知った痛みを乗り越えてきたことが大きいのかもしれない。
数えきれない人の助けでポンコツの私は何とかいきている。歩んだことが誰かの標となることがあれば、これにまさる嬉しいことはない。
生きてこそとおもうのは、父が懸命に生きて見せてくれたから感じられること。やはりふざけんな思うことも含めて、感謝しかない。
悩みも関心も今は恐らくこれしか考えられなくて、まだ四十九日も明けてないのだからしたかないよねと思う。
時が経ち、関心の範囲が広がったときに、今一度読んでみようと思う。