
本当に傷ついた時に気づいたこと・その1
「前向きに生きる」
それは、人生において大切なことだと思う。
前向きじゃないと、新しいことに挑戦できない。
前向きじゃないと、後悔ばかりすることになる。
前向きじゃないと、いい人間関係が作れない、かもしれない。
でも、人は時として、すぐには前向きになれないことがある。
「感情」や「こころ」は、そんな簡単なものじゃない。
「今だけは」心を閉ざしたいと思うこともあるのだ。
自分が「なりたくないセラピスト」に気づいたできごと
誰だって本当は前向きになりたい。
どんなことがあってもあきらめず、落ち込まず、前を向いて歩いて、夢や目標を実現できる自分になりたい。
だけど、人は常に前向きでなければいけないのだろうか?
誰かが落ち込んでいたら早く立ち直らせようと手を尽くすのは、その人にとって本当にいいことなのだろうか?
私はTCカラーセラピストで、ワンセルフカード認定セラピストだ。
ひとことで言えば、「誰かの心に寄り添い、悩みや問題を解決に導いていくこと」を、なりわいとしている。
セラピスト側からすれば、相談に来てくれる皆さんが笑顔になって帰ってくださることが、やっぱり嬉しいし、できるだけそのように導きたい。
でも、悲しみから立ち直ったり、悩みを解決したりできるまでの道のりは、人それぞれに違う。
それをわかってあげられないセラピストには、私はなりたくない。
今回は図らずも、自分自身がそれを体験した話をしよう。
突然の訃報に凍りついた日
先日、大好きなアーティストの訃報が突然飛び込んで来た。
このところ忙しかった私は、彼が体調を崩して療養していたことを知らなかった。
だから、生前の彼と親しくしていた別のアーティストのSNSで彼の逝去を知り、言葉をなくした。
数分の間、身動きもできなかった。
実はもともと、先ほどのSNSのアーティストのファンだったが、二人はよく音楽番組で共演していたので、気づいたら両方とも大好きになっていた。
だから、この度の訃報は本当にショックで、悲しくて、2週間経った今も、気づくと彼のことを考えている自分がいる。
いつの間にか、最初に好きだったアーティストと同じぐらい好きになっていたことに、初めて気づいてしまった。
もちろん、私がいつまでも悲しんでいたら彼だって空の上で困ってしまうだろうし、早く立ち直って普通に何の憂いもない状態で仕事ができるようにならなきゃいけないのはわかっているけれど・・・
考えてみたら、私にとって、こんな30年近く大好きで、その人の紡ぎ出す音楽が生活の一部みたいになっているアーティストが亡くなったことが今までになかった。
実は私がまだセラピストになる前、「推し」が亡くなってショックで仕事が手につかないという人がいた時、「推しの方のためにも、早く立ち直ってあげたらいいのにな」と思っていたことがある。
そして、あの頃の自分には、それがどんなにつらいことなのか全く解っていなかったのだという現実を、今まさに突きつけられた気がしている。
「誰かの気持ちというものは、自分が実際に経験してみないとわからない」
今回、私が発した言葉がきっかけで、相手から「悪意なき凶器を突き付けられた」と感じてしまったできごとがあった。
長くなりすぎる予感なので、続きは次回。