オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その120
細部の悪魔
ホワイト・ハウスでは朝のデイリー・ブリーフィングに続き、北朝鮮問題に関する関係閣僚会議が始まった。参加したのはマイク・ベン大統領以下、副大統領、国務・国防・財務・エネルギー・情報の各長官とジュディー・アマール安全保障問題補佐官、ボブ・カタオカ感染症対策統括官、加えてアメリカの非軍事対外支援を担う国際開発庁長官ら関係幹部だ。
冒頭はプールと呼ばれる代表メディアに撮影が許されていた。広報官の合図で大統領が発言を始めた。
「第二次大戦後に分断され、朝鮮戦争とその後の冷戦を通じて、そして、今もなお対立と緊張状態が続く朝鮮半島に平和をもたらすことは我々の使命であり、周辺国家も含めた関係各国の切なる願いである。
その朝鮮半島情勢が間もなく分水嶺を迎えようとしている。いや、もう分水嶺に差し掛かっていると言えるかもしれない。我々はこの機会を逃してはならない。難問山積だが、これらの解決に向けて、アメリカ合衆国政府は真剣に取り組む積りだ」
ベン大統領は米朝関係の打開に向けて強い意欲をまず示した。
「幸いに金正恩総書記と北朝鮮政府も真剣で、かつ柔軟な姿勢を示している。核開発の凍結と査察の受け入れを無条件で実行していることがその証である。この機会を無駄にすれば、歴史は我々を間違いなく糾弾するであろう。その為に重要なのは、朝鮮半島から核の脅威を取り除くことである。その他の問題は全てこれに掛かっていると言っても過言ではない」
大統領は「北朝鮮の核の脅威を取り除く」ではなく「朝鮮半島から取り除く」と言った。北朝鮮への配慮であるには違いない。しかも、取り除くと言ったのは「核の脅威」であって、「北朝鮮の核」でもなかった。記者の一部や専門家の多くは、この表現の違いに眉を上げた。
大統領は言葉を続けた。
「我々は北朝鮮との本格交渉を幾つかの分野で、状況が許せば数週間以内に開始することが出来るだろう。しかし、勿論、一朝一夕に解決できるようなものではない。これまで歴代の政権が何度も試み失敗してきた交渉を、行動対行動の原則に基づき一歩ずつ前進させ、今度こそ成功させるのは我々の歴史的使命である。私自身も朝鮮半島の平和構築に向け、全力を投じる積りだ」
「歴史的使命」という表現に記者達は大統領の並々ならぬ決意を改めて感じた。そして、冒頭発言が終わると直ちに質問を投げ掛けた。
「ミスター・プレジデント、CVIDは既に諦めたのですか?」
「ノー」
大統領は即答した。イエスと言える筈もない。大統領にとっても好都合な質問だった。
「大統領、貴方は先行きに楽観的ですか?」
「警戒はしているが、楽観的だ」
記者達は更に質問を叫んだが、広報官達に追い立てられ退出して行った。
「アンドレア、最新状況を説明して欲しい」
ドアが閉められ、場が落ち着くと、コップの水を一口含んでから大統領がアンドレア・ウォルフ国務長官に説明を求めた。
アメリカの第64代国務長官にして初の女性長官、そして、初の訪朝を果たしたオルブライト氏以来、もう何人目になるのか誰も気にも留めなくなった女性のウォルフ国務長官が口を開いた。
「既にご説明申し上げた通り、北朝鮮との本格交渉は核管理問題、信頼醸成措置及び人道支援問題、それに平和構築問題の三分野で同時並行的に話し合いを進めることで基本的に合意しております。昨日のニューヨーク・チャンネルでの接触で、北朝鮮は、このうち、信頼醸成措置と人道支援問題に関する交渉を速やかに、可能であれば来週後半にも開始したいとの考えを伝えてきております。
国務省と致しましては、信頼醸成措置と支援問題を本格交渉の皮切りにすることに基本的に異論はございませんが、その開始時期については、もう少し後にしたい旨、伝えてあります。
その理由は、もう少し、こちら側の準備に時間が欲しいのと日・韓、それに中国との根回しも少しはやっておきたいからですが、北朝鮮側には、白山市に飛び火したADE株封じ込め作戦の終息を見極めてからにしたいと伝えてあります。北朝鮮としてもADE株がまた再燃しますと米朝交渉に全力を注ぐことは出来なくなりますので、この点に関しましては現場レベルでも致し方ないかという考えを持ったような感触であります。本国に伝えると言っておりました」
「つまり、開始時期に関しては、北朝鮮政府も我々の意向を受け入れる可能性が高いという事か?」
「左様でございます」
「カタオカ博士、白山市のADE株の終息の見通しは?」
大統領が尋ねた。
「あくまでも現時点の見通しですが、このまま行けば二週間後には終息宣言を出せるのではないかと、CDCもWHOも見ております」
「アンドレア、それで時間的余裕は確保できるのか?」
「二週間後に開催となりますと少し厳しいかと存じますが、そこから本格交渉の場所と日程を調整するのであれば大丈夫かと思われます」
「分かった。カタオカ博士、今の話を頭に入れておいて欲しい」
「承知しました」
そう言って、カタオカ博士が頷いた。
「交渉の焦点は?」
大統領が話を先に進めた。
「焦点は数限りなくあると申し上げても過言ではありません。特に北朝鮮との交渉では、場合によっては句読点の一つでさえ疎かに出来ません。
ただ、信頼醸成措置と人道支援問題の初期交渉は、外交当局同士と軍同士の直通ラインの設定やADE株対策に関わる支援が主なテーマになりますので、他の交渉に比べればですが、比較的スムースに進むことが期待されます。これに関しましては、北側は軍の代表も交渉に参加させる意向との感触を得ています。それはそれでより慎重に交渉を進める必要がございますが、北朝鮮軍も取り敢えず前向きの姿勢を示しているということを意味しておりますので、初期交渉は粛々と進むものと幾分楽観しております」
「確かに、北の軍部がいきなり交渉をぶち壊しに来る可能性は低いのだろうな…スチュアート、どう見ている?」
ベン大統領が盟友の一人であるスチュアート・リード国防長官に尋ねた。
北朝鮮との交渉において「悪魔は細部に宿る」と断じたのは、かつて子ブッシュ政権で、国務副長官を務めた知日派のリチャード・アーミテージ氏と言われている。この表現自体は古くから存在するが、特に北朝鮮相手の場合、後で何を口実に新たな難題を吹きかけてくるか分からない。それに対する戒めの言葉なのだが、歴代のアメリカ政府や日本政府の対北朝鮮政策担当者がこうした認識を忘れることは無かった。
「中国の人道支援の御蔭で北朝鮮軍も一息ついているようですが、これが止まれば、早晩、元の木阿弥状態に戻るでしょう。それに金正恩総書記の意向に逆らうような行動を取るとは極めて考えにくいのは変わりません。我々としても、細部の悪魔に十二分に気を付けながら交渉に参加するつもりです」
リード長官が国防総省の基本姿勢を表明した。
「そうか、上手くやってくれ給え」
ベン大統領は了承した。
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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