オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その78
定点観測
翌土曜日、目覚めて洗顔や歯磨きなど終えた菜々子は大友のメッセージを読み始めた。
菜々子は夜用ブラジャーとシルクの短パンだけといういつもの寝巻姿のままだったが、寒さは感じなかった。春はもうすぐなのだ。
「お疲れ様。また一歩前進ですね。いよいよ近づいたような気がします。適当な観測ポイントが見つかったら多少の費用の発生は気にせず進めてください。引き続き気を引き締めて宜しくお願いします」
大友にこう返信した。
菜々子は朝のお茶を淹れ、一息入れると、ヨガを始めた。
深呼吸をしながらゆっくりと様々なポーズを作る。同時に、北朝鮮が次にどのような動きに出て来るのか、頭の体操も始めた。アメリカからの返信は無い。夕方には出張から戻った太田博一が尋ねて来る予定だった。
「これは絶好だな」
現地時間のその日午前、大友達はスタッフの一人が転送して来た写真を見て感嘆していた。
セーヌ川の北側の崖の上にある屋根裏部屋の窓からスマホで撮影したものだが、総合病院の全景がばっちり入っている。拡大してみると外科病棟の十二階のバルコニーもはっきり見える。西側のバルコニーは一部死角になっていて全て見通せる訳ではなかったが、東側に死角はない。
「ここを貸してもらおうよ。少しの間さ。好条件を提示しよう」
大友がベルナールに言った。
その屋根裏部屋には支局の女性スタッフの知り合いの日本人留学生が住んでいた。景色は非常に良いのだが、冬は寒く、夏は馬鹿みたいに暑いと留学生がぼやいていたのを彼女が思い出し、窓からの景色の撮影を依頼したのだ。
大友はその部屋をイースター休み明けまで撮影用に貸してもらえるよう依頼することにした。
その間、代わりに、近所のかなり立派なキッチン付きのウイークリー・アパートの部屋を無償で提供し、一日当たり五十ユーロの謝礼も出すという提案をスタッフ経由で送った。勿論、何か忘れ物が出てくれば、部屋に適宜、ピック・アップに戻ることも出来ると付け加えた。目的は対岸の植物園周辺の定点観測で、こうした事実は決して口外しないことという条件も書き添えるのを忘れなかった。
パリの建物の多くに存在する屋根裏部屋は往々にして狭く、断熱材など施されていない為、屋根越しに外気の影響がもろに伝わる。それ故、物置等に使われるケースも多いのだが、現在はそうした屋根裏部屋を改装し、住居として賃貸に出されるケースも珍しくなかった。暑さ・寒さを我慢しさえすれば家賃は安いので裕福ではない若者達には重宝されていた。
そんな一室で暮らしていた留学生は直ちに応諾した。エアコンも無いらしい屋根裏部屋の厳しい寒暖差に余程うんざりしていたのだろう。身の回りの荷物を纏めて少し部屋の片づけをしたら、翌日から大友達が使えるようにすると言う。
話は纏まり、ベルナールが必要な事務処理を進める。パリ第二十一大学医学部近くのホテルの会議室は引き払った。
翌日曜日の午前十時に、ベルナールと留学生の友人のスタッフが現地で鍵を受け取り、スタッフが彼をウイークリー・アパートに案内する段取りになった。そして、望遠レンズ付きのカメラを屋根裏部屋に設置すれば定点観測の始まりだ。
その頃、山瀬とカメラマンのジャン・ルカ・アルヌーは、アルヌーが運転するレンタカーで、自宅アパートがあると見られる建物の駐車場を出たパスカル教授のポルシェを追跡していた。車には教授一人しか乗っていない。
ポルシェは病院の方角に向かった。
用心して、少し間を空けて、すぐ後ろから追跡しないようにした為、二度、見失いそうになったが、行先の見当が付いていたせいか、慌てる必要は無かった。
暫くして、教授のポルシェが、大学ではなく、セーヌ南総合病院の敷地に入ったのを目視すると、二人は一切停まらずにそのまま支局に戻った。教授はやはりセーヌ南総合病院に重要な患者を抱えている。二人はそれを再確認したということになる。
支局に戻った二人を加えて、大友達は翌日からの定点観測の準備を始めた。
大友は用意するスナック菓子類や飲み物と屋根裏部屋近くの良さげなレストランやカフェ、日本料理店のリスト・アップに余念がない。
定点観測は、取材の全容を知る大友・山瀬・ベルナールとアルヌーの四人だけで行う。四人ともこれが長く続く覚悟を既にしていた。
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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