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20XX年のゴッチャ その35

 もう一つの車列
 
 世界のメディアが蜂の巣を突っついたような騒ぎになっていた頃、北京駅で待機していたもう一つの車列が夜陰に乗じて静かに動き出した。
 
 周辺は厳しい取材制限が敷かれており、これに気付く報道陣が居る筈もない。車列は黒塗りのワンボックスカー二台と救急車、それに前後を覆面パトカーと思しきセダンが固めている。目立つバイクの先導は無い。
 
 北京市中心部を迂回して空港に向かった車列は整備用ゲートからチャーター機専用駐機場近くの大型格納庫に入った。格納庫の中で待ち受けていたのはAAI、エア・アンビュランス・インターナショナルのガルフ・ストリームである。
 
 搭乗客が乗り込むと「空飛ぶ救急車」のトニー・ジョンソン機長は最終チェックを終え、管制官との交信を続けながら離陸許可を待った。病人と思しき搭乗客、カン・チョルはそんなに急を要する状態では無いのかもしれない。足取りはかなりおぼつかない様子だったが、自力で歩ける。
「飛行中に容体が急変するような事態にならないと良いのだが…」
 ジョンソン機長はそう思った。
 
 同乗しているAAI社の医師と看護師は血圧や体温などのチェックの結果を異常なしと伝えて来た。搭乗客は全部で十二人。無駄口を叩く者は居ない。所在無げな二人の若い男の存在に違和感があったが、危険ではなさそうだ。ジョンソン機長には、むしろ、ボディーガードと思しき四人から滲み出る殺気の方が遥かに怖かった。
 
 仕事柄、ジョンソン機長は、王族や大金持を警護するプロのガードマン達を数多く見てきたが、この四人のレベルは明らかに違う。戦闘に臨む特殊部隊の兵士のようだ。武器は持っていない筈だが、素手でも簡単に人を殺せそうだった。
 
「まさか、口封じに後で彼らがやってくるなんてことは…」
 ジョンソン機長の頭に一瞬、こんな考えが過った。だが、そんなことがある筈もない。
 
「私は彼らをパリまで連れて行くだけさ」
 離陸許可が下りるとジョンソン機長は、自らにそう言い聞かせ、滑走路に向かってタクシーイングを始めた。順調にいけば十三時間程でオルリー空港に着く。
 
「空飛ぶ救急車」とほぼ入れ替わりに、北京空港に高麗航空の特別機が到着した。金正恩総書記の帰りは空路だ。
 
 閑散
 
 本文割愛し、先を急ぐ
 
 大行軍
 
 翌月曜日の朝、夜明けとともに支援の大行軍が始まった。
 
 中朝国境の町、遼寧省・丹東から友誼橋を渡って続々と中国軍のトラックが北朝鮮の新義州に入り始めた。北方の中国吉林省集安でも同様だった。鉄道も使われていたし、海路でも、大連港から平壌郊外の南浦港に貨物船や石油タンカーが向かっていた。その規模たるや凄まじい。中国による全面支援がまさに始まったのだ。
 
 メトロポリタン放送の朝の情報番組は、ソウル支局の戸山昭雄の丹東からの中継レポートで、その模様を伝えた。
 
「中国側の丹東から友誼橋を渡り、北朝鮮に入る車列が延々と続いています。ここから見える範囲はずっとトラックが連なっています。果てることのないこの車列の正確な台数は全く分かりませんが、少なくとも数千台になるものと思われます。これにより北朝鮮に運び込まれる支援物資は何十万トンという規模になるでしょう。
 中国からの支援物資が北朝鮮を集中豪雨の後の洪水のごとく満たしていくようです。中朝首脳会談後の発表通り、支援の規模はまさに全面的であり、徹底的です。
 これほどの物資がどこにどれだけ運ばれるのか、混乱しないのか、心配になる程ですが、発表後、この大規模支援が直ちに実行されていることから推測しますと支援の計画自体は、かなり前から作成されていたのではないかと思われます。
 新型コロナの感染クラスターが発生しますと、中国では、たとえ人口一千万人の都市でも、住民の全員検査が複数回実施され、陽性者を割り出し隔離するという政策がかつて徹底されていました。また、外出は原則禁止され、食料は当局者が配布するといった厳格な都市封鎖が実行されました。そのようなゼロ・コロナ政策は有効だったという評価はこちらでは変わっていません。北朝鮮でも今回はこのゼロ・コロナ政策が発動されるであろうことは、この支援の規模を見るだけでも、容易に想像できます。
 詳細は発表されていませんが、こうした支援の大行軍は何日も、いや、場合によっては何週間も続くのだろうと思われます。
 また、同時に、北朝鮮と国境を接する中国側の遼寧省と吉林省の国境沿いの市や自治州には事実上の外出禁止令が布告されました。これにより、遼寧省の町、丹東に居る我々もホテルの外での取材は出来なくなりました。
そして、これらの地域への立ち入りは許可を受けた者以外は禁止、これらの地域から外に出ようとするものは政府指定の場所での二週間の隔離が義務付けられました。
 北朝鮮で出現した新たなワクチンの効かない変異株を何が何でも封じ込めるのだ、という中国政府の極めて固い決意が感じられます。丹東からは以上です」
 
 その頃、北京駅では、金正恩総書記が特別列車を離れ、帰国の途に就く準備がほぼ整っていた。空路で持ち帰る荷物の運び出しは既にほぼ終わり、後は、身の回りの物と機密資料を車両に積み込み、北京空港に向かうだけだ。
 
 執務用の車両で、金総書記はクローゼットを開け、ギターケースを秘書に預けると、机の引き出しから、小さな封筒を取り出した。中身を取り出して、それをじっと眺めると、小さな溜息をついた。貴重な記念品にはなるが、コンサートに行くことは出来なかったのが惜しかったのだ。だが、やむを得ない。これから当分多忙を極めることになるが、落ち着いたら、ヴィデオで観るつもりだった。
 
 韓国の国情院が掴んだ、北朝鮮の要人がエリック・クラプトンのコンサートに行くという情報は、実現しなかったが、正しかったのだ。だが、誰が行こうとしたのかは間違っていたのかもしれない。
 
 金総書記は、封筒を内ポケットに収めると特別列車を降り、いつものベンツに乗り込んだ。最後の車列が空港に向かった。ルートは前日のもう一つの車列と同じだ。
 
 幾ら豪華に作られているとはいえ、狭い列車での長い缶詰生活は厳しかった。更に厳しいであろう先行きを思いやると、それなりにアドレナリンが出てくる。だが、煮えたぎるような闘争心までは湧き起らない。ただ、幸いに、今のところ、全て想定通りに進んでいることに、北朝鮮の最高指導者は危うさを感じつつも満足していた。
 
 北京空港では中国共産党対外連絡部の郭燿部長が漸く帰国する金総書記を見送った。その数時間後に新華社が高麗航空の特別機に乗り込む金総書記の写真を一枚配信した。写真はかなり遠目に撮られていて、画質は相変わらず良くなかった。
 
 中南海では習近平主席が劉正副主席に念押しをしていた。
 
「私は、他の誰でもない金正恩総書記と会談し、封じ込め作戦に合意したのだ。それに、合意は北朝鮮の最高指導部が一致して認めたものでもある。今更やり直しは不可能だし、そんなことは許さない。計画通り、速やかに作戦を進めるよう指示を飛ばせ。無用の混乱を避けよ。我々を虚仮にするような情報を断固として封じ込めよ」
 
 父親の故・金正日総書記と共に訪中した金正恩氏と当時の習副主席は確かに面会し後継者と紹介された。しかし、二人だけで会ってなどいなかった。着座してお茶を飲むことも無かった。その記憶は習主席に明確にあったのだ。
 
 習主席の元々少し甲高い声のピッチは更に上がっていた。その鬼気迫る様子に、劉正副主席も震え上がった。現代の皇帝と大中国を虚仮にするような話は確実に封じなければならない…失敗すれば自分も危うい…劉副主席はそう肝に銘じた。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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