オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その70
肝移植
週末は菜々子と彼女が率いる取材陣にとって異状も収穫もなく、比較的静かに時が過ぎた。封じ込め作戦においても特異な報道は無かった。各局のニュースや日曜の討論番組では相変わらずADE株関連の扱いが大きかったが、新味はなかった。
「結論から言うと、肝臓病患者がわざわざ外国で治療を受けようとする場合、患者は最終的に移植手術を受けるケースが多いそうだ」
週が明けた月曜の朝、いつもの様に目覚めた菜々子がシャワーを浴びて、朝の支度をしながらスマホをチェックするとルークからメッセージが入っていた。菜々子は真剣に読み進める。
「医学的詳細は省くが、これは医療の発達していない国の患者に限らないらしい。日本からもアメリカや中国で移植を受けようとする患者は居るのだという。肝臓に癌が見つかった場合、それが余程初期のケースなら部分切除で済むこともあるが、肝臓癌や肝硬変が進行してしまったら内科的処置で完治する可能性はほとんどなく、移植が出来なければ治らないのが普通だそうだ」
菜々子には初耳の話ばかりだった。
「ただし、移植が上手く行って、酒を断ち、正しい生活を送るようにすれば寿命を全うすることは可能だそうだ。
適当なドナーは見つかるのか、倫理的に手術が認められるのか、莫大な費用を負担出来るのか、予後はどうなるか、という様々な問題はまた別にあるらしい。しかし、重い肝臓病患者が治療を受ける為にわざわざ外国に行くというのは、即ち、移植手術を受けようとしていると考えてほぼ差し支えないんだそうだ。
よって、マークすべきは外科医ということになる。進行してしまった場合は内科医だけでは対症療法にしかならないらしい。肝臓専門の医者がそう言うのだから間違いは無いと思う」
「有難うございます。大変助かります。あの、可能であれば、そのお医者様と電話で直接お話しすることは可能でしょうか?宜しくお願い致します」
菜々子はそう返信した。
「了解。訊いてみるよ。また連絡します」
程なくしてルークからメッセージが来た。菜々子は改めてルークの顔の広さに感心した。
ルークはしばしば「亀の甲より年の功って言うだろう?あれって結構当たっているんだよな。ただ単に歳を取れば良いってもんじゃないが、歳を取ると色々分かることもあるんだぜ。何せ知り合いもベテラン揃いになるからね」と言っていたが、その通りなのかも知れないと菜々子は思った。
身支度を終え、朝の緑茶の味と鮮やかな色合いを楽しんでいるとルークから返信が来た。
「オーケーだとさ。彼は桜井という。以下の番号に午後四時過ぎに電話して…」
元気な年寄りは朝も早いが、気も早い。菜々子はくすりと笑い御礼の返信をした。
続けて、ルークの情報の概要を大友と山瀬に伝え、外科医を追うよう指示するメッセージを送信した。
その頃、WHO現地調査団のビル・コールター博士は、平壌郊外の調査団本拠地でジョギングに勤しんでいた。
朝夕の抗原検査が陰性で症状も無ければ三十分間に限り、屋外に出ることが許されるようになったのだ。
マスクは常時着用、会話は禁止、他人とは二メートル以上離れるという条件付きで、敷地を出ることは許されず、建物やテントの塊りの周辺をぐるぐる回るだけだったが、それでも外気に触れ、少しばかりの運動が出来るのは生き返ったような心地だった。
すれ違う他のスタッフとは手を挙げて挨拶する。
「順調なら、後一週間程我慢すれば活動再開かな…」
コールター博士はそう思いつつ、マスクの息苦しさをなるべく気にしないようにしながら、ひたすら走り続けた。
冬でも海や湖で泳ぐのを趣味にしている博士は仮設の居住スペースの隙間風は平気だったが、その狭さには閉口していた。
「ネットを使って家族や友人と会話は出来るし、映画を観たりすることも自由だ。此処の国民達よりはマシだろう」
そう自分に言い聞かせていた。
それにしても、平壌総合病院の様子や封じ込め作戦の現場の様子を直接検分することが出来ないのは残念で仕方なかった。
調査団は手足を縛られたのも同然で、現場で実際にどのように作業が進行しているか、住民は何を思っているのか、これさえも中国側に教わらなければ分からない。満足のいく報告書さえ書けるかどうか心配だった。自分達が北朝鮮政府と中国政府の行動の箔付けに使われるだけに終わるのを危惧していた。
「それにしても…撚りによって何で調査団付きの運転手唯一人だけが感染を広めることになったのか…中国側の説明を疑う理由は無いが、こんな偶然があるものなのか…」
中国政府とて自国内でADE株の感染が起きることなぞ望んでいる訳がない。考え過ぎなのは分かっていたが、自分達の不運に何か釈然としなかった。
封じ込め作戦開始から丁度二週間。平壌時間のその日夜、ジュネーブ時間の午後二時に本部が会見をする予定なのだが、自分達が直接収集した最新情報など全くない。中国政府と北朝鮮政府からネットや電話で聞き取ったものばかりになりそうだ。これでは本部が収集しても同じだ。それも残念で仕方なかった…。
「もしもし」
優しげな声が聞こえた。
「もしもし、桜井先生、甲斐さんからご紹介いただきました宮澤菜々子と申します。お忙しいところ大変申し訳ありません。今、お時間は大丈夫でしょうか?」
午後四時過ぎ、菜々子はルークが紹介した桜井医師の携帯に電話を入れた。
「あー、大丈夫です。桜井博文と申します。甲斐君からお話は聞いています。どうぞ」
桜井は日本では名の知れた肝臓内科医で、都内の大病院の院長を勤め上げた後、今は開業医をしている。
「あの、概要は甲斐さんから私もお聞きしたのですが、率直にお尋ねしますと、パリまでわざわざ行けばすぐに手術はしてもらえるのでしょうか?そんなに都合良く行くものなのでしょうか?」
菜々子が尋ねた。
「それはケース・バイ・ケースなのだと思います。日本でもそうなのですが、先進国では、例えばアルコール性の肝硬変の場合、かなり深刻な状態でも禁酒に成功していないと移植はして貰えません。また飲んじゃったら元の木阿弥ですから、そういう人には移植をしてもドナーの方の肝臓が無駄になりますので、当然、他の方が優先されます。また、日本では六十五歳以上の方への移植はしません。
でも、外国の場合はお金さえ積めば、なんとかなるという話なら聞いたことがあります。特に中国では…という噂はあります」
「フランスの場合はどうなんでしょうか?」
「ヨーロッパの事情はそんなに詳しく知らないのですが、ドナーさえ見つかるのなら、そこら辺は何とかしてくれるケースがあっても不思議ではありませんね。
つまり変な言い方になりますが、肝臓移植の場合、生体部分肝移植と言って、生きている方の肝臓の全部では無くて一部を取り出して移植するので、極端な話、ドナーも親や兄弟などから自分で見つけて一緒に行けば、その点はクリア出来るのです。心臓移植とは異なります。
日本でも親族の肝臓を部分的に貰って移植するケースは珍しくありませんので、ドナーもレシピアントも両方とも外国の方で互いに親族でしたら、自分の国の誰かのドナーの肝臓を使う訳ではありませんので敷居は低くなると思いますよ。ただし、問題になるのはドナーの方の肝臓のサイズです。小さな方から大きな方に移植は出来ません。ドナーの方の肝臓がある程度大きくないと拙いのです。それと血液型の適合は必要です」
「そうですか…血液型が合って身体の大きなドナーも一緒に連れて行けば早く出来るんですね…」
「必ず連れて行かなければならないという事ではありませんが、それなら早いかもしれませんね」
「成功率は?」
「肝臓がんの場合の肝移植の五年生存率はそんなに高くありませんが、ウイルス性でもアルコール性でも癌化する前の肝硬変の移植手術の成功率は結構高いです。上手く行けば天寿を全うできますよ。そういう例は沢山あります」
「予後はどうなんでしょう?」
「それもケース・バイ・ケースです。移植する場合、血管や胆管を繋ぐ必要があるんですが、それがどうしても上手く行かずに血や胆汁が滲み出てしまうことがあります。私の知っているケースで、移植手術を受けた関西の病院近くに二年間も住み続けて、その後の処置と観察を続けたという関東の患者さんもいます。お金には不自由していない方でした。
しかし、全て順調ならば、一、二か月で自宅に戻れる方もいらっしゃいます」
「拒絶反応は?」
「それが全く無いということではありませんが、肝臓はもともと拒絶反応を起こしにくい臓器なんです。薬も良いのがありますので、そんなに心配しないでも大丈夫かもしれません」
「術後、順調ならばどれくらいICUに入っているものでしょうか?退院できるのはいつ頃でしょうか?」
「通常ICUに入っているのは術後一週間から二週間です。病院の施設にもよるのですが、心臓や脳の術後のように心拍数等様々な数値を相当長い間モニターし続けることは肝臓の場合は必要とならないケースが殆どなので、他の重要臓器の術後に比べればICUからは比較的早く出られます。そして、生体肝移植の場合、全く問題が起きず全て順調ならばですが、最短で一か月で退院できることもあります。しかし、大雑把に言って半分くらいでしょうか、全く問題が起きないのは。
ただ、入院期間に関して言えば、一部の国で完全にプライベート、つまり費用全部を自己負担して移植手術を受ける場合、患者側の要望に病院側は結構フレキシブルに対応するんだと想像します。特に、もう少し入院させて経過をじっくり診て欲しいという場合は無碍にはしないんじゃないでしょうか。因みに肝臓の腹腔鏡手術の場合ですとICUからは一日か二日で出られます。小さな癌を摘出する場合は、この腹腔鏡手術が通常施されます」
「あの、もしも、移植が上手く行かなかった場合、再手術は出来るのでしょうか?」
「技術的には可能です」
「ドナーの方はどうなるのでしょうか?」
「通常であれば一年程で肝臓は大きくなって元に戻ります。ドナーの方が亡くなることは滅多にありません」
「あの、ヨーロッパの方の腕前は如何ですか?」
「一般的に言って、日本人程器用ではありません。アメリカ人も似たようなものですが、アメリカの場合は最新装置の助けを借りて、不器用さを補います。ヨーロッパはどうなんでしょうか、私には分かりません。それでも最新の装置を使えば大丈夫だろうと想像はします」
「外国で肝臓移植を受けるって珍しくないのですね…」
「日本人の方でもいらっしゃいますよ。事情があって日本ではすぐ移植を受けられないお金持ちの方でハワイや中国で移植手術を受けたというケースはあります。心臓とは事情が違って生体部分移植が可能ですので」
「分かりました。有難うございました。大変助かりました。また何かあればよろしくお願い致します」
菜々子は桜井医師への取材内容をメモにし大友らに送った。
全て順調なら一か月で退院できることもあるという事は、逆に、肝臓移植手術を受ければ全て順調でも最低一か月は入院するという事でもある。まだそうと決まったわけではないが、これまでの推理が当たっているとすれば、取材ターゲットはまだ入院していても不思議ではない。無駄な努力に終わる可能性は否定できないが、外科医を割り出し、マークする価値はある…菜々子はそう考えていた。
「肝移植手術の可能性有り?まさかそんな…」
現地時間月曜の朝、菜々子のメッセージを読んだパリ支局長・大友祐人は半信半疑だったが、そそくさと支度を済ませ、オフィスに向かった。山瀬とカメラマンのジャン・ルカ・アルヌーはWHOの記者会見対応の為、既にジュネーブへ移動中の筈だ。
大友の少し後に出社したベルナールに事情を説明する。
「本当ですかね…?」
ベルナールも半信半疑だった。証拠は何も無いのだ。しかし、これが本当ならば、お姫様がパリに出没し、今は所在不明な理由の説明にはなると言う点では二人とも意見が一致した。
二人で手分けして、パリ第二十一大学医学部教授で付属病院の肝臓外科部長を兼ねるアラン・パスカル医師の所在を探す。ネット・SNSを浚い、伝手を求めてあちこちに尋ねてみるが、新たな成果は無い。
「大学病院に行ってみましょうか?」
暫くしてベルナールが提案した。
「そちらでも休診しているのかどうか、講義はやっているのか、もしかしたら分かります」
「そうだね。ロケハンにもなるしね」
大友が同意した。
「それと大学か病院に電話をしてみるか…。ベルナールが本名で教授に話を訊きたいと言ってさ。で、もしも、本人が出てきたら、社名を言って、フランスの肝臓移植の状況についてお話を伺いたいというのさ。留守にしていればそれで分かるし、居たなら、本当に話を訊きに行って、他の有名な専門医の名前や評判も尋ねるっていうのはどうかな?」
ベルナールが頷く。
「じゃあ、まず、大学病院近くに行って、昼ご飯にしよう!途中であの辺りの旨い店を探しながらね」
食事処探しも同時進行になった。
しかし、こちらはあくまでもついでである。それなら誰も文句はあるまい…大友はこの名案に自分で納得していた。
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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