オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その99

 

チャーター機

 
 
 菜々子が翌朝一番のフライトで羽田を発ち、北京発パリ行きの中国国際航空のフライトの機中ある頃、エール・フランス所有のA321-XLRがウィーン空港に降り立ち、ターミナルからは遠く離れた貨物用の駐機場の端に留まった。
 
 現地時間では午前八時過ぎ、間もなくIAEA用の資材の積み込みが始まる。
 
 外見からは全く覗い知れなかったが、キャビンは真ん中のパントリーの前後が壁で二重に仕切られ、前後の様子は双方から全く分からないようになっていた。
 
 最後尾では、エコノミー・クラスの座席が一部取り払われ、代わりに、まるでICUのような設備が据え付けられていた。その隣にはファースト・クラス並みの座席も設置されていた。
 
 チャーター機は月曜日朝ウィーンを発ち、イギリス上空を経て太西洋とカナダ上空を横断し、まずアンカレジに向かう予定だ。
 
 ウィーンからアンカレジまではおよそ7,700キロ、気流次第だが、十二時間程を要する。アンカレジで給油等をした後、平壌まではおよそ6,000キロ、九時間弱だ。
 
 ロシア上空を飛ぶ直行便に比べるとほぼ倍の時間が掛かるが、エール・フランスがロシア上空ルートを使うのは政治的に困難であることは誰もが理解していた。そうでなければ北京経由の中国のフライトを使うしかなかったのだが、それは北朝鮮政府が望んでいなかった。
 
 核実験後の微妙な政治状況がそうさせているのだろうとIAEAは理解していた。査察を始められるのでさえあれば平壌行きの手段やルートは問題ではなかった。
 
 その暫く後、パリのオルリー空港では、AAI、エア・アンビュランス・インターナショナル社の空飛ぶ救急車が月曜未明のフライトの準備を始めていた。
 
 機体はプライベート・ジェットとして名高いガルフ・ストリームで、パイロットはトニー・ジョンソン、一か月半程前に北京から患者を運んだのと同じだった。
 
「ウィーンまでならこの機材は必要ないんだが…患者側の希望かな?」
 
 ジョンソンが営業担当に尋ねた。
 
「機材も乗組員も顧客側の御指名です。以前に北京からこちらまで運んだ御一行とほぼ同じメンバーのようです」
「ん、すると転院かな?無事回復したのなら一般のフライトで良いはずだが…」
「さて、それは分かりません。私達は患者を運ぶのが仕事ですから。必要のないことは訊きません。ただ、患者の容態は随分良いらしいです。念の為、フランスの医師も付き添うと聞いていますので、フライト中に問題が起きる可能性は低いと思います。何といっても短いフライトですしね。簡単な仕事になると思いますよ」
「そうか…了解。出発は月曜の朝六時目処で良いのかな?」
「その予定です。では宜しくお願いします」
 

 
「要するに軽い心臓発作でした。冠動脈に血栓が詰まってしまったのが原因です。しかし、すぐに駆け付けた医師の処置が良かった為、血栓は短時間で溶けて冠動脈の血流も回復しました。今はもう大丈夫です。明日にも退院が可能です。ただし、暫く薬を飲んでもらいます。軽めの抗凝固剤です」
 
 パリのサン・シモン総合病院では大友夫妻に対して医師から病状の説明が始まった。言葉の問題があるので、ベルナールも通訳として同席する。
 
「しかし、大友さん、貴方の体重・脂肪の量、血管の状況は非常に問題があります。
 体脂肪率は五十%近くもあります。血管の状態は七十代のお年寄りでも貴方程酷くありません。血液中の中性脂肪率、コレステロール値も尋常ではありません。これが根本原因です」
 
 大友達は恐縮して聞き入った。
 
「兎に角、体重を最低でも三十キロは落としてください。直ちにダイエットを始めてください。百十キロを超える今の体重は多過ぎます。さもないと長生きしませんよ。いつ、再発しても不思議ではありません。分かりますか?」
 
「ォウィ…」
 
 大友は消え入るような声で返事した。
 
 まだ死ぬわけにはいかない。子供も小さいのだ。そんなことは先刻承知の妻も頷く。
 
「暫くは鶏のささ身と白身魚を少しだけ、豆腐も良いかもしれません。それと野菜たっぷりに全粒パンを少しだけというような食事を心がけてください。酷ですが、バターは駄目です。塩分は控えてください。ワインは赤ワインを半杯程度なら構いませんが、甘いお菓子は厳禁です。果物もほんの少しにしてください。果糖の取り過ぎは禁物です」
 
 医師は厳しい表情を崩さず、更に続けた。
 
「奥さん、大友さんの食事はこのリーフレットに書かれているようなメニューにしてください。確か、小学校の小さなお子さんがいらっしゃるとお聞きしました。量は野菜以外そのお子さんと同じくらいで十分です。お二人ともご理解いただけましたか?」
 
 ベルナールが笑いを堪えながら通訳を続けた。大友夫妻は神妙に頷く。
 
「何か質問はありますか?無ければ、もう少し病院で様子を見て、明日昼前に退院して頂きます。そして、来週の木曜日に来院してください。検査をしてその後の薬をどうするか決めます。宜しいですか?」
 
「あの、急にまた具合が悪くなる恐れは…?」
 大友の妻が尋ねた。それが心配なのだ。
 
「薬を処方通り飲んで水分を絶やさず、静養していれば大丈夫だと思います。激しい運動は避けてください。そして、兎に角、食事制限をしっかり続けることです」
 
 二人は再び頷いた。
 
 好物のチーズ・バーガーとパン・オ・ショコラをもう当分食べられなくなったことに大友は今更ながら愕然としていた。
 
 腹が減って仕方なかった。しかし、我慢するしかない。そして、帰宅後の妻が怖くて仕方なかった。
 
「あの…仕事は…?」
 大友が尋ねた。
「それは木曜日の診察の後の話です。それまでは兎に角静養と食事制限です」
 医師はにべもなかった。
 
 項垂れる大友を横目に妻が大きく頷いた。
 
「日曜昼頃に退院予定。原因は太り過ぎと担当医も断定」
 
 ベルナールから話を聞き取った山瀬は菜々子にメッセージを入れた。機中だが、ワイファイのサービスはある筈だ。
 
 受け取った菜々子は山瀬のメッセージをそのまま加藤に転送し、少し眠ることにした。パリまでもうそんなに時間は掛からない。仮眠に丁度良い頃合いだった。
 
***
 
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎
本連載の複製・蓄積・引用・転載・頒布・販売・出版・翻訳・送信・展示等一切の利用を禁じます。


いいなと思ったら応援しよう!