オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その84
豊渓里
「これは核実験場の整備をまた始めたという事ね?」
ワシントン郊外のラングレーにあるCIA本部に併設されたコリアミッション・センターのファン・ジアン所長は北朝鮮北東部の豊渓里地区の山中の衛星画像をアナリストらと共にチェックしていた。
アナリストが応える。
「そうとしか考えられません。鉱物採取の為では無いですね」
豊渓里は北朝鮮がこの時までに6回の核実験を実施した場所で、東西南北の四か所の実験坑があるとされる。このうち、東の抗道は過去の実験で受けたダメージが大きく既に廃棄され、残り三か所の坑道も、当初の目的を果たした為か、2018年五月の核実験停止宣言を受け、入り口は爆破され閉鎖された。ただし、その後も、周辺の警備と監視棟の整備などは続いていたし、過去に何回か極めて短期間だが怪しげな動きは確認されていた。
しかし、最近になって西の坑道入り口の土砂の運び出しや道路の本格的な再整備が始まっていたのだ。
「どこまで進んでいると思う?」
ジアン所長は尋ねた。
「それは何とも…しかし、作業は急ピッチで行われています。最低限の準備なら、後一か月もすれば完了するかもしれませんし、もう少し早いかもしれません」
「やる気なのかしらね…単なる威嚇行動なのかもしれないけれど、彼らも無駄に作業はしないのかな…」
「それはやはり最高指導者の決断次第でしょう」
「そうね。彼の頭の中までは分からないから。
寧辺の動きは相変わらず?」
「そのように見えます」
寧辺は北朝鮮の首都・平壌の北方およそ八十キロの場所にある核関連施設が集中する場所で、中心はプルトニウムを作り出す5メガワットの黒鉛原子炉と燃料棒を再処理してプルトニウムを取り出す放射化学研究所である。年間で少なくとも原子爆弾一個ないしは二個分のプルトニウムを生産していると見られている。
その活動は、過去の米朝交渉の結果、一時凍結されていたこともあるが、断続的に続いていた。
近年になって実験用軽水炉も完成し、プルトニウムの生産能力が高まったと見られていたが、その実態は不透明であった。
ホワイト・ハウスが設置した北朝鮮対策特別チーム、ワイルド・キャット班の想定する複数のシナリオの中には、核実験の再開もある。北朝鮮が主張するところの抑止力の強化を証明する為と威嚇の為だ。
また、ADE株封じ込め作戦が進行中の今だからこそ、仮に実験を強行しても、西側はそれ程強い態度に出て来られないだろうという読みがあるのかもしれなかった。
加えて、北朝鮮は既に少なくとも数十個の核爆弾を保有していて、表面的な反応は別としても、新たな核実験が直ちに脅威の実質的な大幅増加と受け止められない可能性も彼らからすれば期待できる。そこが未だ技術的に完成したとは看做されていないアメリカ本土の目標に確実に到達する大陸間弾道ミサイルの実験とは異なる。弾頭が大気圏再突入に耐えられるかどうか実証されたとは言えないからだ。
彼らが一方的にそう計算しても不思議ではない。
しかし、この時点では、本当に核実験というカードを切って来るのか、更にその後、例えばジョーカーとも言うべき本格的な軌道で飛ばす大陸間弾道ミサイル実験にまで踏み込むのか、或いは、対話の呼び掛けに出て来るのか、依然、不明だった。
コリア・センターの情報と分析は、ジアン所長もその一員であるワイルド・キャット班メンバー全員に直ちに共有された。
緩和
「昨日のWHOの会見を受け、今朝から、北朝鮮全土と国境を接する中国側の遼寧省、吉林省の都市封鎖、外出禁止令が一部とはいえ、ようやく緩和されました。
その内容ですが、北朝鮮と中国側の緩和措置は異なります。まず、北朝鮮では職場復帰が認められただけです。潤沢な配給が続く為、食料品買い出しなど一般市民の外出は依然厳しく制限されています。
しかし、中国側では職場復帰が認められた他、食料品など生活必需品の買い出しもできるようになりました。ただし、中国側でも不要不急の外出は制限され、レストランや映画館等の娯楽施設の営業もまだ禁止されています。
一方、遼寧省や吉林省から北京など他の地域への移動は解禁になりました。ただ、二週間の隔離は以前と同様に義務付けられています。
私どもの外での取材は事前に許可を得た場合を除きやはりまだ禁止されていますが、取材拠点にしているホテル内の移動は自由になりました。ホテルのレストランは営業が再開され、宿泊客に限りですが、利用できます」
翌日のメトロポリタン放送の昼ニュースが丹東の戸山特派員のレポートを伝えた。戸山の表情も声音も明るい。
「戸山さんの缶詰生活も幾分緩和される訳ですね?」
東京のスタジオのキャスターが尋ねた。
「原則、ホテルの部屋から出られないと言う正に缶詰状態は緩和されます。しかし、例えば街頭インタビューが自由に出来るという訳ではなさそうです。地元の中国メディアは、今朝、早速街の声を拾い、外で中継をしていましたが、私ども外国メディアが申請しても直ぐに許可が下りるのか未だ分かりません。当局が設定する取材機会があれば、参加が認められるのではないかと期待しています」
「ホテルのレストランにはもう行きましたか?」
「ホテルのレストランの営業再開は、この後、昼からです。楽しみにしています」
「ご苦労様です。戸山さん、有難うございました。続いて、北京の岩岡支局長です。岩岡さん!」
「昨夜、WHOがADE株の拡大阻止に一応成功したと発表してから一夜明けました。しかし、北京の中国中央政府から、これに関する公式の発表や論評はまだありません。
先程、戸山記者が伝えた緩和策についても、今朝、新華社電が淡々と伝えただけです。
また、WHOは昨夜、封じ込め作戦はフェイズ2に入ると発表しましたが、新華社電は封じ込め作戦は継続されると伝えたのみです。
この冷静と言いますか、冷淡とも言える対応について、中国政府筋は私どもの取材に対し『現時点ではWHOも言うように封じ込め作戦が完了したとは言えず、患者も残っている。再燃の危険も残されている。安心するのはまだ早い』と述べています。浮かれるのはまだだという考えを中国政府は持っているということになります。
このまま事態が順調に推移し、ADE株の消滅宣言が出れば、作戦は当然終了すると考えるのが筋ですが、中国政府が引き際をどうするのか、それは依然、検討中という事なのかもしれません。北京からは以上です」
岩岡のレポートは中国政府にはやはり別の魂胆があるのではないかという見方を匂わせるものだった。
封じ込め作戦関連のニュースが終わると菜々子の卓上の電話が鳴った。取ると加藤報道局長だった。
「ニュースでは言ってなかったが、丹東に交代は入れられるのか?」
「いえ、それはまだ解禁になったとは伝えられていません」
「申請すれば何とかならないか?」
「それはやってみないと分かりませんが、仮に許可が下りたとしても、戸山達の移動条件は変わりません」
「つまり、二週間隔離施設で過ごすのか、二週間後に大手を振って北京に戻るのか、という選択になる。その点は変わらないのか?」
「そうです」
「分かった」
戸山の親はやはりかなりの影響力を持っているようだ…菜々子はそう思った。
パリ支局の大友は、オフィスで事務処理を終えると、この日もメトロで屋根裏部屋に向かった。アルヌーと前日にジュネーブから戻った山瀬は既に張り込みを開始している。
「やっぱり、ちょっと変だな…」
いつものように多めにサンドイッチを買い込んだ大友は、道すがらまた胸に違和感を覚えていた。もう少しすれば、日本に一時帰国のタイミングがやって来る。その時、しっかり検査を受けるかな…大友はそう考えていた。
この日の張り込みに新しい成果は無かった。
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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